1961年3月19日の創立からちょうど55年を迎えた三条エコノミークラブ(久保克幸会長・会員104人)は19日、三条市のジオ・ワールドビップで創立55周年記念式典を行い、約200人が参加して半世紀を超える節目を祝った。
式典には来賓、顧問、OB、会員とその妻など196人が出席。物故会員の冥福を祈る黙とうを行って開式した。第51代会長の久保会長があいさつし、同クラブはメーカーと問屋の情報交換の場、経営経済を学び私企業の発展、地域経済の発展に寄与しようと16人の会員で発会したことを話し、55周年を迎えたことに感謝した。
さらに、「高度経済成長からバブル崩壊、リーマンショック、水害や大震災 さまざまな激動の時代を決して歩みを止めることなく活動され、発会当時の会員の思い、会社でいうならば創業者の思いや精神を歴代会長を先頭に諸先輩方で大切に守られ、代々受け継がれた歴史と伝統はとても偉大であり、誇り高きものであります」と半世紀の歴史を振り返り、今年度会長方針「貪欲に学べ」のもとで55周年の活動を全うし、次の60周年へと歩み続けて行くと誓った。
来賓祝辞で国定勇人三条市長は、5年前に参加した50周年の式典当時は、東日本大震災発災直後で催しなどが自粛ムードが広がるなかで、判断を迫られていたことを話した。「エコノミークラブさんは、果断をもって、しっかりと節目を向かうべきときには迎えなければいけないと当時、野崎会長さんからご英断をいただくなかで、滞りなくにぎにぎしく開催されたことが、きのうのよう」と言い、「三条市の経済をリードしていただく方ばかりだが当時、さまざまな状況を分析され、当日の決行を決断されその資質があった」と振り返り、三条市は21日の成人式を半年、延長することを選択、夏場の開催で振袖の女性から不評で参加者も減少する結果だったと加えた。
また、同クラブをはじめ燕三条地域では、若年層、青年層の団体が乱立している。しかもその乱立が切磋琢磨し、お互いがお互いを認め合いながらそれぞれの立ち位置を確認し合い、結果として、三条市、燕三条地域全体の発展、行く末に対して貢献し続けている。それを老、壮の世代があたたかい気持ちの中でバックアップしていくといった体制が三条市では実現できているのではと述べ、さらなる発展を願った。
森山昭三条市議会議長の祝辞に続き、海外公務の斉藤弘文三条商工会議所会頭に代わって兼古耕一副会頭が祝辞を代読。兼古副会頭は、同クラブのOBで20代会長も務めており、「三条に戻り、敷居の高かった三条商工会議所、地元金融機関、それがこのエコノミークラブで培った人脈と経験が大変役に立ち、今、こういう立場であいさつをさせていただいたことは、組織力の継続があってこそ」と感謝し、「若い時代に、ライバルに負けないように努力するというすばらしい組織がこの地域にあるということはありがたい」と期待した。
功労者表彰を受けた歴代会長を代表して、50周年記念式典の年に会長を務めた野崎喜嗣第46代会長が謝辞を述べた。「国定市長の話にもあったが、5年前3月19日、会長という立場で、本来であればきょうと同じく華やかな式典をと開催しようと準備してきたが、東日本大震災の発生で、本当に開催していいのか悩む8日間だった。今思い出しても、本当に胸が苦しく、つらく、長い8日間だった」と明かした。
「自分たちが何をやらなければならないのか、自分たちの立ち位置は、周りの意見は大切にしても、最終的には自分の考え、やらなければいけないことを大切にして行動し、頑張っていただきたい」とエールを贈った。