燕市は19日、燕市文化会館で燕市合併10周年記念式典と記念コンサートを行い、2006年にそれまでの燕市、吉田町、分水町が合併、新しい燕市が誕生してからちょうど10年の歩みを振り返り、節目を祝った。
記念式典には400人以上が出席した。鈴木力市長は式辞で、平成の大合併で県内最後に合併した燕市の合併に至る背景や歩み、合併後の取り組みを振り返り、合併後の10年は「必ずしも順風満帆な道のりではないが、行財政改革に取り組みながら産業の振興、教育・子育て環境の整備、医療福祉の充実、都市環境の向上などのさまざまな政策を市民の皆さまと一歩一歩、着実に進めることができた」と自信を示した。
これから地方創生という大きな課題に向け、4月から第二次総合計画がスタート。人口減少に歯止めをかける戦略に加え、活動人口と交流・応援人口を増加させる戦略を打ち出す。「次なる未来へ歩み出すに当たり、長善館に代表される“人づくり”、国上山に代表される“自然”、日本有数の産業が集積する“産業”、この3つが調和する燕市の魅力をさらに磨き上げ、より協力に情報を発信しながら、子どもたちが未来への夢や郷土への誇りをもてる“日本一輝いている燕”の実現に向け、引き続き全力で取り組んでいくことを誓う」と締めくくった。
中島清一市議会議長はあいさつで、市議会でも行政と議論を重ねて合併した3市町の一体化の課題に取り組んできたことを話し、「“燕はひとつ”の名のもとで郷土愛を確かなものとし、“燕に生まれてよかった。住んでよかった”と感じていただけるよううに、燕市議会としても行政当局とともに、市民の皆さまがたや関係諸団体のかたがた、そして新潟県及び燕市を取り囲む市町村のご協力をいただきながら、これからもすばらしいまちづくりを目指してまい進したい」とした。
泉田裕彦知事は、燕市の合併に向けた新庁舎建設に伴って強い要望を受けて燕警察署を建設したこと、鈴木市長が県職を辞めての市長選出馬に「後ろ髪を引きたいと思った」こと、昨年の燕市はふるさと納税の実績が県内の自治体でトップだったこと、リーマンショックから燕市は県内トップクラスの回復を見せたことなどを話し、「県央という地域のコアを引っ張っていただく新市の建設、大勢の皆さんとともに進めて来ていただいたことを県としても感謝申し上げたい」。
東京オリンピック・パラリンピックのモンゴル・新潟交流促進プロジェクトのホストタウン構想に燕市が登録されたこと、燕市と東京ヤクルトスワローズとの交流などにもふれ、「これからも新潟県を引っ張っていく駒のひとつとして燕市の発展は大変、重要だと思っている。県としてもしっかり歩調を合わせながら新燕市の発展に向けて歩んでいきたい」と述べた。
新潟県市長会会長でもある森民夫長岡市長は、地方創生は待ったなしで、人口増を図るには地域間競争になるが、「前を向いて切磋琢磨する。競争はするけど、必ず連携する、協調する、これこそが地方創生」とし、「基本はふるさとに対する誇りと愛。皆さん一人ひとりが燕市を盛り立てる原動力だ」と市民の活力に期待した。
10年の燕市の歴史を振り返る記念映像を上映。アトラクションでつぼみ保育園、よしだ保育園、地蔵堂保育園の園児が「つばめっ子かるた」を唱和し、燕市のこどもの歌『みんなつばめのこども』を合唱した。
記念コンサートは約700人が来場。旧吉田町出身の演歌歌手で燕市PR大使の上杉香緒里さんが出演して、メドレーを除いて十数曲を熱唱。途中で市内のよさこい3団体が出演して演舞を披露し、最後に燕市がつくったよさこいソーラン『舞燕』を上杉さんの生歌で3団体が演舞して記念コンサートを行って祝いの席を盛り上げた。今年度、燕市は合併10周年記念のマークも作成し、さまざまな事業を「合併10周年記念」と冠して行ってきたが、この日で一連の事業を締めくくった。