19日行われた燕市合併10周年記念式典に福島県・南相馬市の桜井勝延市長も出席した。東日本大震災から5年がたったばかり。少し説明すると東日本大震災による津波や南相馬市の南、大熊町と双葉町に立地する福島第一原子力発電所の事故による放射線の影響などにより、大勢の市民が新潟をはじめ主に隣接県へ避難した。
三条市、燕市も積極的に避難者を受け入れ、記事で見返すと避難者はピーク時で三条市で611人、燕市でも269人に達した。両市への避難者の多くが南相馬市から。桜井市長は「福島県知事より早く3月16日の朝、(新潟県知事の)泉田さんから連絡をもらい、全責任を負って受け入れると言ってくれた。おかげで救われた」と振り返る。
当時から避難生活を続けている人はぐっと少なくなったが、今も両市で避難生活を送る人は多い。以来、両市と南相馬市の交流が続いている。両市とも南相馬市との間で災害時応援協定を結び、人事交流も続いている。
桜井市長を初めて見たのは、震災から1カ月余りたち、燕市議会が南相馬市を訪れて義援金を届けるというので、現地へ取材に出掛けたとき。その後、南相馬市だけでなく、三条市、燕市を訪れた桜井市長も取材した。道順がわからないようだったので、桜井市長が乗る車を三条市から燕市役所まで道案内したこともある。
最後に取材したのは14年3月、東日本大震災で燕市内に避難していて福島県南相馬市へ帰郷した有志でつくる南相馬燕会が“福光桜(ふっこうざくら)”と命名したシダレザクラを燕市役所に植樹したとき。桜井市長も出席した。2年ぶりということになる。
燕市合併10周年記念式典に出席した桜井市長は、式典後に燕市内を視察するとのこと。今年度1年間、人事交流で南相馬市で保険年金課主事として働いた燕市の小杉沙織さんが案内役を務めるというので、連絡をとって桜井市長一行に合流し、燕市の杭州飯店で一緒に背脂ラーメンを食べながらちょっとだけ話を聞いた。
「震災直後からすると、考えられないくらい人が増えている」と桜井市長。南相馬市の現在の人口は5万8千人。震災前まであと1万3千人というところまできている。避難指示区域を抱えている自治体としては最も市民が戻っており、子どもも7割強が戻っていると言う。
南相馬市小高区のラーメンの有名店「双葉食堂」の店主は震災直後、三条市に避難したが、震災のあった年の10月には鹿島区の仮設店舗で営業を再開した。小高区は4月に避難指示区域が解除される見込みのことから、5月には小高区の元の店舗で営業を再開する予定だ。
一方で雇用環境は高い水準を維持。求人倍率は裕に2倍を超える。ゴールドラッシュではないが、皮肉にも除染、復興作業で約8,000人もの雇用が生まれ、全国から集まってくる労働者で市内では全国各地のナンバーを付けた車が走っていると言う。コンビニ店のアルバイトの時給は1,000円近く、夜間は1,500円にもなり、人件費も高騰しているとか。とはいえ避難指示区域の解除をはじめ課題は山積している。
人材育成も課題のひとつ。燕市は2013年から若者の力に期待してつばめ若者会議に取り組んでいるが、南相馬市でも14年から復興に若い力をと南相馬みらい創造塾を開講している。燕市から人事交流の小杉さんは、つばめ若者会議のメンバーであり、南相馬みらい創造塾にも参加した。三条市からの人事交流の滝沢祐貴さんも参加しており、「地元よりよそからの人の方が参加してくれる」と桜井市長。
小杉さんが南相馬みらい創造塾に参加してから桜井市長との接点も増えた。桜井市長は「小杉さんは積極的だし、いつも燕のステンレスのカップを持ち歩いて磨きに磨いている」と笑った。