今年度で閉校する三条市立三条小学校(小林修校長・78人)は12日、「人に親切にしよう」という思いをつなげようと半世紀前に校内に植えられたサクラの木の下で最後の「お花見給食」を行い、全校児童が花吹雪の中で給食を楽しんだ。
雲梯(うんてい)や鉄棒のある校庭の南側にビニールシートを広げて花見会場が完成。気温は低かったものの青空が広がり、かたわらで満開を過ぎたサクラがはらはらと花びらを散らせる絶好の花見日和になった。
小林校長が、みんなが優しく、仲良く、サクラと給食を楽しんでくださいとあいさつし、全校児童はくつを脱いでシートに座って「いただきます」。入学しばかりで給食はまだ2日目の新1年生は「おいしい!、楽しい!」、「虫がいた!」、「また来年もやりたいな」と無邪気に喜んだ。
毎年、楽しみにしていたという6年生は「太陽の光があるとおいしく感じる」、「サクラの花を見ながら食べた」と最後のお花見給食を五感で味わった。
三条小学校の敷地には、敷地を囲むようにサクラ、ソメイヨシノが植えてあり、毎年、見事な花を咲かせている。このサクラが植えられてたのは、半世紀以上前の1963年ころにさかのぼる。
当時の5年生のひとつのクラスが、サクラの花を学級旗などクラスのシンボルにし、「さくらっこ」組と称した。クラスの児童は、節約運動や「人には親切にしよう」と呼びかける「親切運動」を頑張った。その頑張りを称え、親切運動の心を忘れずに引き継いでいこうと、「さくらっこ」のシンボルのサクラ250本余りを保護者らととともに学校に植えたと言われる。
このサクラの木には、趣旨に賛同して出資した人がいる。本人の希望で名前は伏せられている。当時「さくらっこ」組の担任だった元教諭は毎年、サクラの咲くころに学校を訪れて花のついた枝を分けてもらい、その篤志家に届けている。
すでにその人は亡くなっている。80歳を過ぎた元教諭はことしも学校を訪れてサクラの枝をもらい、「ことしも花が咲きました。親切運動は引き継がれています」という報告をしながら、篤志家の墓前と仏壇に供えた。
当時、植えられた250本余りのサクラは50年余りの間に、間引いたり、ヤエザクラなどに植え替えられたり、給食センター解体のときに伐採されたりして今は40数本になった。学校の中庭や体育館脇の三条鍛冶道場側はとくに大きく成長し、たくさんの花を咲かせている。小林校長は、「守っていかなくてはいけない、思いが詰まっているものがある」と話していた。