長岡市栃尾文化センターは4月29日から5月15日まで同センターで「トレインミュージアム」を開いており、昨年8月4日に68歳で死去した長岡大学の内藤敏樹前学長の学長室に残された遺品の鉄道模型の月刊誌『鉄道模型趣味』を中心に、栃鉄の備品や国鉄の制服など鉄道関連のバラエティーあふれる資料を展示している。
学長室に残されていた『鉄道模型趣味』の展示の依頼を受け、それとあわせて鉄道関連の資料を集めて展示している。『鉄道模型趣味』は1950年(昭和25)5月発行の第20号から約160冊を展示する。大切にファイルにとじて保管されており、表紙の写真はモノクロ写真からカラー写真に、写っているのは鉄道写真から鉄道模型写真に変わり、ロゴも変化しており、昭和のデザインが懐かしい。鉄道ファンなら貴重の写真も数多く見つけられるはずだ。
このほかに長岡市栃尾美術館所蔵の越後交通栃尾線、元JR職員から借りた国鉄に関する資料、古物収集家から借りた新聞付録の大日本交通全図、同センター職員のおいに借りたプラレールなどを展示する。
越後交通栃尾線は1915年(大正4)に栃尾鉄道として開業し、1975年(昭和50)に廃業。今はいずれも長岡市内の悠久山駅を起点、栃尾駅を終点とし、「栃鉄(とってつ)」の愛称で親しまれた。栃尾駅の電光看板、乗車券箱、タブレット、さようなら記念切符、御携帯品一時預所看板、危険物持込禁止看板など貴重な資料を展示する。
国鉄資料は、制服や機関士の腕章、車両番号の読み方などを展示。制服には動輪をデザインしたボタンがあり、機関士の腕章は当時の鉄道ファンの子どもたちにはあこがれだった。
地図は、1925年(大正14年)の東京日日新聞の付録「大日本交通全図」、1930年(昭和5)の東京日日新聞の付録「大日本鉄道地図」、1936年(昭和11)の大阪毎日新聞の付録「大日本鉄道全図」の3種類を展示。樺太、満州国、中華民国、台湾が描かれているのもあらためて時代を実感させられる。
地図には東京スカイツリーと高さが同じと話題になった標高634メートルの弥彦山が、地図には50メートルも低い586メートルとある。弥彦線は1925年の地図は弥彦駅と西燕駅を結んでいるのが、その後の地図では西燕の先が越後長沢まで延伸されている。信越本線の東三条駅の位置が1925年の地図では「一ノ木戸」と表記されている。
各地の名産と思われる表記もあり、今の蒲原大堰付近には「石油」、「紙」とあり。鉄道ファンに限らず、いろいろな発見があるだろう。ほかに、ほくほく線や横須賀線の列車運行図表もある。毎日午前9時から午後5時まで、入場無料。問い合わせは
栃尾文化センター(電話:0258-52-2020)へ。