9日の石動神社の花燈籠押しに向けて吉野屋花燈籠講が2基の花燈籠を組み立て (2016.7.4)

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三条市吉野屋、石動いするぎ神社の夏季大祭の宵宮、9日に行われる地元吉野屋地区の行事「花燈籠はなとうろう押し」に向けて3日、ことしも吉野屋花燈籠講(村澤崇史講長・講中約50人)は2基の花燈籠の組み立てを行った。

石動神社の宵宮に行われる花燈籠押しの花燈籠を組み立てる吉野屋花燈籠講の講員
石動神社の宵宮に行われる花燈籠押しの花燈籠を組み立てる吉野屋花燈籠講の講員

石動神社の拝殿の床下に片付けたり、大工に預かってもらったりして片付けてあった部品を1年ぶりに出してきて、吉野屋機械利用組合の格納庫で組み立てた。18歳から40歳くらいまでの講員のうち20人近くが参加。1.8×1.2メートルの木枠に色とりどりの造花を立てて協賛企業名を書いた札を取り付けた。揺すっても落ちないように針金で固定。あとで木枠の側面に障子を張るなどしたら完成だ。

石動神社は784年(延暦3)の創建で1698年(元禄11)に今の権現山に遷宮された。遷宮とともに毎年6月13日を宗祖の命日にあわせた法会「会式」が行われるようになり、それが今も月遅れで行われている。

花燈籠押しはその宵宮の行事として行われているが、いつ始まったかは定かではないが、90年以上前の大正10数年ころから今とほぼ同じ形で行われていると言う。五穀豊穣、氏子安全祈願、蚕(カイコ)への感謝が目的とされる。

戦時中は一時、中断された。吉野屋地区でも多くの若者が犠牲になった。戦後、帰郷した若者たちが終戦後から2年後の1947年(昭和22)4月には花燈籠講を復活させて今なお続いている。

 吉野屋花燈籠講の講員
吉野屋花燈籠講の講員

花燈籠は7基を数えたこともあるが、今は2基。講員数の推移から5年後には1基に減り、10年後に絶えてしまうのではと、地元の危機感は強い。今後も存続できるようにと地元の若手がこぞって参加してくれるようにアピールしており、講長の会社員村澤崇史さん(37)は「例年に負けない花燈籠押しを見せられればと思う。できるだけのことをして盛り上げていきたい」と張り切っている。

当日は吉野屋フォーラムが拠点で、午後1時から3時まで吉野屋フォーラムで1回50円のスーパーボールすくいと射的を行い、4時に子ども燈籠が出発して石動神社大門前を目指す。6時に2基の花燈籠が連れ立って出発し、講中の30人ほどが担いで吉野屋地内を巡行する。

途中、自治会長宅など数カ所で花燈籠を激しく揺すってもむほか、8時から吉野屋フォーラム近くの田んぼから花火を打ち上げ、スターマイン5組と3号5号玉1発、4号玉9発、3号玉10発で夜空を彩る。

10時ころから神社下で花燈籠をもむのがハイライト。さらに石動神社へ上がって最後の気勢を上げたあと、神事を行って幕を閉じる。

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