元BSNラジオのアパーソナリティー大倉修吾さんが22日、東京都内のホテルで亡くなっているのが見つかったと報じられた。74歳だった。
大倉さんには何度か会ったことがある。基本、仕事がらみで、一度だけ宴席で席を並べさせてもらった。第2回林忠彦賞(1993年)受賞の燕市のアマチュア写真家だった捧武さんが2007年に11月に出版した捧武写真集「大倉修吾を撮る」の内々の出版記念展の打ち上げの席だった。捧さんは10年に77歳で死去している。
捧さんと大倉さんの付き合いは、捧さんが第2回林忠彦受賞を受賞した写真集『田園の微笑』の売り上げの一部をBSN愛の募金に寄付したのが始まり。同時に捧さんは、大倉さんの看板番組だった「ミュージックポスト」や大倉さんが参加したイベントで大倉さんをレンズで追い続け、自身の最後の写真集との思いを込めて出版した。
友人を介して「大倉修吾を撮る」を含め、捧さんの写真集の最後の3作で、編集作業を手伝った。それで打ち上げに同席させてもらった。会場は燕市内の料理屋。10年以上も前のことなので、細かいことは覚えていない。
ラジオで聴くのと同様、方言で話す気のいいおっちゃんという印象。レンズを向けると、視力検査で片目を隠すように栓抜きを目に当てておどけて見せた。とはいえ、バリバリの人気アナウンサーというイメージしかなかったので、軽口がきけるほどリラックスして話せなかったと思う。
捧さんの「大倉修吾を撮る」の前作が05年出版の「秋山庄太郎と新潟」。その被写体となった写真家秋山庄太郎さんは03年に82歳で亡くなっている。大倉さんの死は捧さんを軸とした大先輩、大御所がごっそりと鬼籍に入ってしまったような喪失感がある。合掌。