三条市下田地区・下大浦の集落の鎮守、升箕(ますみ)社で16日、秋季大祭が行われた。三条で最高気温35.3度の猛暑日となる厳しい残暑のなか、伊勢神宮がルーツとされる神楽の奉納も行われた。
升箕社は天照大神を主祭神とし、1683年(天和3)に分霊をまつった。この年は全国的に凶作で、飢饉(ききん)を救おうと伊勢からみこしがくり出されたが、この地で突如、動かなくなり、稲作の守り神としてまつるようになった。
以後、順調な作柄が続き、作神として信仰を集め、ご利益を求めて参詣者は増加。蒲原郡一帯から三島、古志にかけて升箕社の名は高まった。春季と秋季の年2回で、かつては参道に何十もの露店が並び、弥彦線の大浦駅があったころは大浦駅から南西の升箕社まで約700メートルを行列が延びるほどの参拝者を集めた。
化学肥料がなかった時代。1955年(昭和30)ころまで、拝殿の縁の下に砂を入れ、それを持ち帰って田んぼにまくと病害虫予防に役立つという信仰があり、お札の頒布も盛んに行われたと言う。
そのにぎわいも今は昔。春季大祭は日曜、秋季大祭は8月16日に固定で行われているが、参拝者はわずかだ。この日も関係者以外の参拝は20人足らずと往時とは比較にならない。
本殿、拝殿、幣殿は三条市指定文化財。拝殿には「飛龍の大天井絵」がある。2間×4間(26.4平方メートル)、16畳分の広さの天井いっぱいに竜の墨絵が描かれている。1809年(文化6)に江戸に生まれ、江戸城の障壁画を描いた狩野派の絵師、狩野晏川貴信の作で、1855年(安政2)の拝殿大修理にあわせて1日で仕上げたと伝わる。大祭ではその姿を拝むことができる。
秋季大祭の運営は、下大浦自治会の9つの班が順番に担当しており、ことしは6班の担当。午前11時から地元の15人ほどが参列して神事を行ったあと、昼食をはさんで午後1時から舞殿で神楽が奉納された。
升箕神社伶人会(佐藤豊会長)の伶人9人が7舞、稚児4人が3舞を奉納した。この神楽は伊勢神宮へ出向いて学んできたと伝わり、それが大崎など近郷の神社にも伝わった。1963年(昭和38)に新潟県無形民俗文化財に指定された三条市内の6社が保存する三条神楽とは系譜が異なるらしい。
小学校を卒業すると稚児も卒業。ことしの稚児は6年生3人と5年生1人で、3人はこの日が最後の神楽舞となった。アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシのセミが合唱。伶人は酒も入って上機嫌で、舞を終えた稚児に「ばかいかったろ」、「また来年も頼むろ」とほめていた。
最後は「福神遊の舞」で、舞殿の上からもちまきを行い、菓子を投げた。これも子どもが少なく、先を争って菓子を取る必要もなかったが、関係者は少しでも昔のようなにぎわいを取り戻せたらと願っていた。