三条市に拠点を置く「にいがた災害ボランティアネットワーク」(川瀬和敏理事長)は、台風10号による大雨で川の氾濫や浸水など大きな被害を受けた北海道からの要請で被災地に水害資機材を届けるため、3日午前9時から三条市栗林、旧サカタ製作所倉庫に格納してある水害資機材をボランティア65人の手を借りてトラックに積み込む作業を行った。
2004年の7・13水害で三条市の災害復旧のボランティアが使い終わったボランティア資機材を旧サカタ製作所倉庫に格納している。全国各地で大規模な水害が発生するたびに資機材を発送しており、今回は昨年9月に台風18号に伴う大雨で鬼怒川の堤防が決壊した栃木県常総市に発送して以来1年ぶり。
スコップ’528本、ほうき124本、一輪車80台、バケツ164個のほか、くわ、くま手、バール、亀の子たわしなどを数を数えて10トントラックに載せた。
作業前に前日2日に災害ボランティアセンターの開設を支援するため北海道に入った同ネットワークの李仁鉄事務局長が電話で参加者を激励。李事務局長は、同ネットワークの資機材を南富良野町の災害ボランティアセンターに運ぶ予定で、南富良野町をはじめ新得町、清水町、芽室町に災害ボランティアセンターを設置が進めらていると話した。
これまでの各地の災害に伴う資機材の積み込み作業は平日のことが多かったが、今回は土曜だったこともあるのか、30人を目標に参加者を募ったところ、スタッフを含めてその2倍を超える65人もが参加。午前10時には三条で気温30.6度の猛暑に見舞われたが、人海戦術で1時間余りで積み込みを終わった。
参加は燕三条青年会議所や各地の社会福祉協議会、長岡市の寺のボランティアグループ、大学などの団体が人数を稼いでくれた。田上町の会社員相田岳人さん(44)は小学校5年生の長女と2年生の二女と3人で参加した。相田さんは「新潟恩返し隊」のメンバー。新潟恩返し隊は県内の地震や水害の被害に対する支援に感謝して東日本大震災の発生直後の11年3月末に発足し、被災地へボランティアバスを運行している。
相田さんはそのボランティアに数多く参加しているが、今回は「自分のできる範囲のことをさせてもらおう」と、初めて同ネットワークの積み込み作業に参加した。東日本大震災の被災地へのボランティアはいつも単独参加なので、「子どもたちにもボランティアがを学ぶいい機会になった」と話した。
長野県小布施町の橋本梨花さんは初参加。橋本さんは小布施町でボランティア活動に取り組んでおり、社会福祉協議会などとかかわって災害ボランティア養成講座を開いたことがあり、講師を李事務局長に依頼したのが縁で李事務局長と連絡を取り合うようになった。
今回はFacebookで同ネットワークがボランティアを募っていることを知った。中越地震で大きな被害を受けた長岡市の旧山古志村を視察したことはあるが三条市へは初めて。「試しに三条までどれくらいかかるか行ってみようと思って」と夫の直幸さんに車の運転を頼み、1時間半かけて来条した。
主に積み込む資機材の数の記録係を担当したが、「記録する作業があることや、どうやって記入したらいいかとか、いろいろ勉強になった」と橋本さん。小布施町は比較的災害がなく、それ自体はありがたいことだが反面、住民の災害に対する意識は低く、防災関連の事業に参加が少ないのが悩みの種。「災害がなくて幸せといえば幸せだけど、こんなに大勢のボランティアが集まっているのに驚いた。うちだったら一本釣りしないととても」と目を見張った。
新潟薬科大学災害ボランティア部から担当の先生1人と部員2人が参加した。同部は東日本大震災が発生した年に組織されて翌年に正式に部になった。登録している部員が90人、そのうちアクティブに活動しているのは30人の大所帯。これまで主に東日本大震災の被災地へボランティアに出向いており、昨年は水害のあった茨城県常総市へも出掛けた。
今回は李事務局長のFacebook上での呼びかけに応えて参加。部長の3年生西田遼さん(20)は「今回の被災地の北海道や東北は遠く、すぐに現地へは行けないので、こうして近くで支援ができてうれしい」と話していた。
資機材は翌3日に現地に到着の予定。資機材を運送するのは北海道函館市の運送会社。トラックのドライバーは、台風10号で最も風雨が激しくなったころは札幌市で荷物の積み下ろしをしていて、「雨や風があんなに続くことはほとんどない」と言い、職場では橋が落ちたために帰って来れないという人もいたと話していた。