11月12、13日と山梨県は富士吉田市で初めて開かれた「ハタオリマチフェスティバル(ハタフェス)」に行ってきた。ざっくり言えば、織物の産地という視点で富士吉田市の魅力をアピールしようというイベントだ。それにしても何人かから、なぜ出掛けたのかと聞かれた。
いくつか理由となる縁があった。ひとつは斎藤和真君の存在。慶応大学大学院生として三条市民球場の野球を通した貢献活動の研究で三条市に長期滞在してフィールドワークを行っていたことがある。その間にみんなで飲みに行ったり、車を持っていなかったので送ってあげたりと仲良くなった。
2年前から富士吉田市の地域おこし協力隊になっている。その後も時々、三条市を訪れている。斎藤君が地域おこし協力隊を続けているうちに富士吉田市へ遊びに行きたいと思っていて、タイミングをはかっていた。
話は10月6日から9日まで開かれた「燕三条 工場の祭典」に移る。取材では工場見学に訪れたたくさんの人に話を聞いた。初日のレセプションだったかで、3人組の女性にどこから来たのかと尋ねると、富士吉田市からとのこと。そのうちのひとりは、富士吉田市産業観光部富士山課主幹の勝俣美香さん。市職員なら地域おこし協力隊とも面識があるかもと斎藤君の名前を出すと、斎藤君とも親しいとのことで、互いに驚き、盛り上がった。思わぬ所で斎藤君が出会いを結びつけてくれた。
勝俣さんはハタフェスの主担当。ハタフェスのなかでオープンファクトリーのツアーを行うことから、その視察もあって工場の祭典に訪れた。勝俣さんから経費や行政の立ち位置など工場の祭典の舞台裏についていろいろ質問された。こちらも主催者ではないので大まかなことしかわからないが、わかる範囲で答えた。
勝俣さんの魅力もある。熱く情熱にあふれていて、何よりも巻き込み力がある。こうして富士吉田市へ出掛けたのも、勝俣さんの巻き込み力の証拠とも言える。そんなハタフェスがどんなイベントになるのか、自分の目で確かめたくなった。
翌日も何度か市内でばったり会った。夜は「さんじょうバル街」が開かれたが、3人はこれにも参加していた。「ベジテーブル」で行われていた工場の祭典のレセプションへ取材に行くと、ここでも遭遇。これも何かの縁だろうと、せっかくなのでしばらく本寺小路や三条別院、お勧めの店を案内した。
そうこうするうちに富士吉田にがぜん興味がわいてきた。これはきっと富士吉田へ行きなさいと神さまに背中を押されているのだと。秋の週末は取材が忙しいが、それを放り出して遠出する自分への言い訳を探していた気もしないではない。
富士吉田のことが頭から離れなくなっていると、NHKの番組「ブラタモリ」で富士吉田で撮影が行われた回が放送されたり、某副市長から富士吉田へ行ってきたばかりと聞いたり。富士吉田を意識し始めた途端、今までまったく情報のなかった「富士吉田」というキーワードが次々と耳に入ってくるから不思議だ。
かと言って天気が悪いのに出掛けるのは気が進まない。好天が期待できると確信して最終的に出掛けることを決めたのは、ハタフェスの数日前。それから友だちを誘ってもさすがに都合のつく人はなく、ひとり旅をすることに。神奈川に住む妹夫婦が泊まっていけと言うし、妹夫婦と富士吉田で待ち合わせて一緒にハタフェスを見て回ることにした。
続く…