今年度で閉校する三条小学校の同窓会(石崎順一会長)は、盆に続いて年末年始の30日と1月2日の2日間、学校開放を行って校舎を懐かしんでもらい、みそかの30日は200人を超す来校者でにぎわった。
2日間とも午後1時から3時まで学校を開放。校舎内を自由に見学してもらい、ふるさと教室の開放、古くからの卒業アルバムの展示、子どもたちの活動のようすの上映も企画している。
盆の8月14、15日に行った学校開放は2日間、日中ずっと開放して延べ300人の来校だったが、30日は2時間の開放で約’180人が来校者名簿に記入。団体や家族は1人しか記入しないことも多く、実数では200人を超す来校者があり、盆をはるかに上回るにぎわいだった。
校内放送では子どもたちが歌う校歌をノンストップでループ再生し、あちこちから「懐かしい」の声が響いた。閉校まで残り3カ月となった母校の校舎を映像としてしっかり記録に残そうと、一眼レフカメラやビデオカメラで撮影する同窓生が目立った。
盆のころは今回の学校開放を計画していなかったが、昭和51年度卒業生が30日に同期会を開くことになり、それにあわせて学校を開けてほしいと要望があったことから、それならいっそ一般にも学校開放して誰でも校舎を見られるようにした。
昭和51年度卒業生は大半が52歳で、20歳のころに一度、同期会を開いて以来、約30年ぶりの同期会。同期の122人中ちょうど3分の1を超す44人が三条ロイヤルホテルで開かれた同期会に出席し、同期会の前にみんなで児童玄関前で記念撮影したりして30年ぶりに再会する幼なじみと昔話に花を咲かせた。
昭和39年度卒業の山田鋼造さん(64)は、「1年生のときに女の先生に怒られて『目にシンナーを入れるぞ』と言われて『入れられるなら入れとみろ』と言い返したら本当に入れられて。30分くらい、ものすごい痛かった。今だったら大問題だ」と笑い、当時、白黒のテレビをどこかから持ってきて学校で東京五輪やプロ野球日本シリーズをみんなで見たことをきのうのことのように思いだして懐かしんでいた。
同校OBで同窓会長の石崎順一さん(63)=昭和39年卒=は、「想定以上であんまり大勢来てくれて慌てた」と驚き、「これだけ来てくれるとやったかいがある」と大満足。「もうこんなには来ないだろうけど」と言いながらも次回1月2日の学校開放の来校にも期待している。1月2日も開放は午後1時から3時まで。