「成人の日」の9日、燕市吉田地区でことしも熟年成人式が行われ、還暦から数えて20年の満80歳になった55人が参加して2回目の成人を祝った。
旧吉田町老人クラブが、戦前の二十歳のときになかった成人式に代えて還暦から20年の熟年成人式をという発想で平成8年(1996)から毎年行っており、ことしで22回目。旧吉田町では昭和5年(1930)生まれから成人式を行っているので、初期の目的は失われて2回目の成人式となっているが、新年にあたって互いの長寿を祝い、20歳から60年ぶりの再会を喜び合う行事として継続している。今では1月が近くなると「お互いに成人式ですね」が仲間同士の合い言葉になっている。
ことしの対象は昭和11年(1936)4月2日から翌12年(1937)4月1日まで生まれた老人クラブ会員の男30人、女49人の79人。その7割に当たる男19人、女36人の55人が出席した。男性は大半がネクタイに背広、女性は和装の人もいた。
主催の吉田地区老人クラブ連合会の平原厳一連合会長はあいさつで、「これからもこの良くなった施設でのびのびと活動して充実した老後の生活を送ってほしい」と求めた。
来賓の鈴木力燕市長は、参加者が20歳のころは石原慎太郎の小説「太陽の季節」の映画化が始まり、「もはや戦後ではない」という言葉が流行した高度成長時代の最初の年だったと言い、「これからまた新たな日本の時代をつくりあげる先頭に立っていただければ」、「これからの人生が実りある人生に」と祝辞を述べた。
参加者の代表に記念品として連合会のシンボルマーク入りの飾り皿を贈呈、参加者代表で神田さくらクラブ会長の中村■(くさかんむりに貢・みのる)さん(80)が謝辞を述べた。
神田さんは小学校3年生の夏休みに終戦を迎え、食糧難の時代から経済をはじめあるゆる分野で日本が成長を続け、「60年前には想像できなかった良き生活を生き抜いた」と振り返った。
自身は就職の都合で長野県へ移っていたために成人式には出席できなかった。「きょうは出席できてこれ以上の喜びはない。これからも恵まれたふるさとで元気で健康寿命を心がけ、3年後の東京五輪まで元気で思い出をつくることを第一目標に掲げ、人さまに迷惑かけずにその先も長寿に心がけたい」と願った。このあとは祝賀会に移り、乾杯してアトラクションを楽しんだ。
女性参加者の燕市西槙に住む関川静得さん(80)は、「振り返ってみたら幸せだった。幸せると思えることが幸せ」と笑った。二十歳のときは栄養士になろうと東京の大学へ通っていたため成人式の案内が届かず、欠席した。大学を卒業すると旧燕市の給食センターで栄養として働いた。
定年前に退職し、今は読み聞かせのボランティアを行っている。55歳から始めた弓道も続けている。弓道は先に納会があったばかりで、「皆さんにまた来いねって言われたのがうれしくて、頑張って続けようと思う」と話していた。