26日で営業を終了して31年間の歴史の幕を閉じる燕市井土巻、 洋食器センター「キタロー」は、旅行形態の変化、バスの運行規制、道の駅との競合など、さまざまな時代の変化や要因がじわじわと経営を圧迫した。
「キタロー」は1985年(昭和60)に関越自動車道が全線開通して北陸自動車道の三条燕インターが首都圏と直結した翌年86年の7月25日、三条燕インターから燕市側へ約500メートルの至近距離にオープンした。金属スプーンメーカーの燕市南7、遠藤工器株式会社が新潟物産株式会社を設立して運営している。
「キタロー」の愛称は変わらないが、オープン当初は「観光センター」と称し、「三条燕洋食器センター」などと名称を変えたのち、今の名称になった。自社の金属洋食器をはじめ、燕三条地域の物産を販売。2階には団体客に対応できるレストランや大型観光バスを収容できる駐車場を備えて団体客を呼び込み、弥彦・寺泊地域への中継地としても人気を集めた。
同じよう施設にキタローの7年前に開館、2010年に閉館した燕小池工業団地協同組合が燕市小池が運営する「共同展示館つばめ」があった。差別化を図るため、共同展示館つばめにはなかった菓子や冷凍品などの食品や村上の堆朱工芸といった県内の物産にも取り扱いを品目を広げた。オープンから数年後には洋食器製造見学工場を開設した。
オープン直後、国内はバブル景気にわいた。オープン数年後がピークで、年間来場者は20万人、売店とレストランを合わせた売り上げは5億4千万円にのぼった。昨年1月1日からレストランを休止していたが、その前年の売り上げは1億6千万円とピーク時の3分の1にまで落ち込み、来場者数も同様に減少した。
背景には複数の要因がある。観光の形態が団体旅行から個人旅行へと変化し、キタローがターゲットにした観光バスによる団体観光の市場が縮小した。バス事故の影響で規制が強化され、単独運行のバスを1日で運転できる距離の上限が設定された。首都圏からのバスを利用した日帰り観光のエリアが狭まり、単独運行では首都圏から燕三条地域へ日帰りできなくなった。首都圏から観光客が過半数を占めたキタローの打撃は大きかった。
さらに道の駅との競合。新潟ふるさと村や近くでは道の駅国上、燕三条地場産センターなどの道の駅が増え、じわじわと観光客を奪われた。新潟県中越地震、新潟県中越沖地震、東日本大震災といった大規模災害、リーマンショックなどがあるたびに客足が遠ざかった。
オープン数年後から新潟物産で働く遠藤静雄専務取締役(58)は、倒産せずにきれいに清算して営業を終えられることに「取引先からうまく閉められて良かったねと言われる」と言う。「30年、営業できて良かった」と達成感、安堵感もある。ただ洋食器製造見学工場には強いこだわりがある。
洋食器製造見学工場では、ステンレスの板からスプーンの形に地抜きし、皿の部分を丸める「つぼ押し」の工程まで、最後の仕上げの研磨を除くすべての工程を一気に見られる。今となっては何十年も前に作られた年代物の機械を使っているのも趣がある。
遠藤専務取締役は「燕市には洋食器の製造工程を見学できる設備をぜひ作ってほしい。歴史から話して機械が動いているのを目の前で見ると、ものすごく感動してくれる」と形を変えてでも存続してくれることを願う。
キタローの正面には、高さ20メートル級のナイフと18メートル級のフォークのステンレス製のモニュメントが立ち、地域のシンボルとしても機能していたが、腐食して危険になったため、東日本大震災後まもなく撤去した。
キタローから2年遅れてオープンした県央地域地場産業振興センター(今の燕三条地場産業振興センター)のレストランを運営したことがあり、当時、レストランに設置した長さ約4メートルのナイフとフォークのモニュメントを店内に移設。31年間に数多くの歴史を刻んだ。
ツイッターには、「これ今日の朝礼で聞いてめっちゃショックやった案件や!」、「キタロー小学校の学習旅行で行ったなぁ」、「お土産でもらうバターナイフは今も我が家で活躍してます」、「地場産が(なぜか道の駅にもなったし)その役目を引き継いでくれてればいいのだけど」、「え? 新潟県民なら多くの人が知っている有名店。これも時代の流れか…」など営業終了を惜しむ声が広がっている。
18日から26日までは全品半額で販売する。営業は午前9時から午後5時まで。洋食器製造見学工場は団体客の予約は17日が最後だが、要望あれば営業終了日まで行うことにしている。見学したい人はキタロー(電話:0256-63-2417)へ問い合わせる。