大名行列で知られる三条祭りが行われる15日の朝、三条傘鉾(かさぼこ)振興会(井村孝嗣会長)は八幡宮境内で「三条まつり傘鉾コンクール」を開き、ことしも家庭日用品を材料に世相を風刺した三条ならではの傘鉾7基が登場する。あわせて来年の出品者も募っている。
旧三条観光協会などの資料によると、傘鉾の起源は、武器の鉾(ほこ)を立てて、その周りを多くの品々で飾り、傘のように見えたことから「傘鉾」と呼ばれるようなったとされる。
三条では、材料にざるやほうきなどの一般家庭用品や鍋など「金物の町」にちなんだ金物類をはじめさまざまな日用品を使うほかの土地にはない傘鉾。世相を風刺したアイデアあふれる傘鉾人形を毎年、新たに製作する。
コンクールは15日午前10時半から八幡宮境内でことし一新した審査員5人が審査し、金賞、銀賞、銅賞を各1点、佳作4点を決める。その後、大名行列とともに市内を巡行する。
その力作の構想や製作方法などは各団体それぞれ。八幡宮地元の本町6丁目の「鍛冶町(かじまち)」では、町内の若手でつくる「鍛心会」が中心となって傘鉾を製作する。同会によると表彰状が残る1974年(昭和49)から数えて、ことしの傘鉾は44作目に当たるという。
ことしは37歳から79歳までの12人ほどが、4月12日から約1カ月かけて製作。仕事を終えた夜8時半過ぎころから芦田傘鉾委員長の自宅に集まり、最初の3日間、全員でアイデアを出し合ってテーマやデザインを決め、その後、材料集めをして製作に取り掛かった。
「親父に行って来いと言われて20年ほど前に参加した」と製作部長の高橋松範さん(59)。「最初は親父の代わりとして嫌だったが、年寄連中にかまわれて、小間使いから。その雰囲気が最初からおもしろかった」と、今に続いている。製作後に酒を飲みながら話をするのも伝統で、町内の幅広い年代のコミュニケーションの場としても引き継がれている。
ただ、参加団体は年々、減少している。以前は町内や商店街、事業所など20余りの団体が参加していたが、少子化や高齢化、2004年(平成16)の7.13水害以後の河川改修で市街地から移転した家も多く、現在は最盛期の3分の1ほどに減り、存続を心配する声がある。
同振興会では、過去に出品していた商店街や事業所、町内会をはじめ、スポーツ関係、ものづくりやまちおこしの団体や人材など、さまざまな枠組みでの来年の参加を呼びかけている。初めての出品者には、経験者が手ほどきや手伝いもできるので、まずは、15日に見に来てほしいと話している。