5月20日午後8時25分。小路の向こう側に祭囃子を聴きながら焦っていた。まとわりつく襦袢と単衣の裾が、駆け足にはもどかしい。
あと5分で横町萬燈組の街灯踊りが始まってしまう。玉川堂の前に若連中が待機しているのはわかっていた。Google mapはもう近くまで来ていることを示しているのに、スナックや料理屋ばかり目について、正しい小路の出口がわからない。行きつ戻りつなんとか中央通りへ出ると、宵闇に明々と灯を点した萬燈が、私の到着を待ち構えていた。
中央通りは車通りが激しいが、通行止めにはなっていない。萬燈とカメラの間を車がひゅんひゅん通過する。
1年ぶりに見る若連中のいなせな祭装束に胸が躍る。そろいの浴衣に色とりどりの三尺帯を、折らずに腰から下へ長くのばして巻く独特な着こなしに、おとなの色気があふれている。近くに寄ると、御神酒のにおいが漂う。
黄色い帯が夜目に鮮やかな1人に手招きされ、おどり子さんのすぐ横に陣取ると、まもなく凛々しいカチの音が4回。街灯踊り=下座の始まり。
「おどり子」の少女たち。うなじをふたすじ残して白塗りに紅をさした祭化粧。手ぬぐいを襟に取り付けた浴衣の右肩を脱ぎ、鹿の子の襦袢を見せる。襟は深く抜き、帯を前で結ぶ芸姑文化と、手甲脚絆の旅支度の両方が見える着こなし。浴衣の下に着けた前掛けの裾、袖の中と下、手甲の指先の4カ所に縫いつけた鈴が動きに合わせ涼しい音を鳴らす。髪を頭頂部で結い上げて、紙で作った髪飾りで留める。毛先は角のようにピンと前方へ突き出しているのがなんともかわいらしい。
「つばめナ…」とご当地の歌詞を加えて滑り出す伊勢音頭に、おどり子のすました表情。ひょっとこがけなげに扇子を振るう。「あまり長いとおどり子が弱る」という締めくくりの歌詞を聴いて玉川堂を後にし、次は宮町の商店街へ急ぐ。
見た目より歩きやすさを優先して、新調したばかりの草履でなく、履きなれた島ぞうり(沖縄のビーチサンダル)を選択したことの正しさを噛みしめる。燕の商店街は結構長い。
戸隠神社で形ばかりのお参りをそそくさと済ませ、商店街の奥へ入り込むと、あちらこちらから威勢のよい唄が聴こえてきた。木場小路萬燈組が幾手に分かれ、門付けの真っ最中。これも見ないと、萬燈は始まらない。
男たちの熱気を通りすがると、誰かがつけているパフュームが香る。お玉さんと金棒のメイクを模したメンバーがいる。横町萬燈組がおとなの色気を漂わせているのと対象的に、「若連中」の呼び名がふさわしい、若い男の匂いが漂った。
片方の手を仲間の背中へ回し、もう片方の腕で扇子を振るい野太い声で唄う。荒々しさすら感じるパフォーマンスが商店街のそこここで行われている。うまくすれば店内におじゃまして、店の方々と同じ視点で角付けを見ることもできるというが、始まってしまえば入り口はこのようなありさま、猫の子1匹通るすき間もない。
古風な節回しの伊勢音頭をBGMに街を進めば、行く手に鎮座するのはきらびやかな木場小路の萬燈。若連中の着こなしもきらびやかだ。下座の時間にはお祭り好きの商店主も飛び出してきて、撮影に余念がない。
若連中に背負われたお玉さんが集合してくる。
合間にはふつうの少女のような仕草が見えるが、カチが鳴れば神様の一部だ。表情も動作もキリッとひきしまって、よろけることひとつない踊りを披露してくれる。その小さな身体にかかる重圧はいかばかりかと思うが、見る方としてはとにかく愛らしさにため息を漏らすばかり。夢中で拍手をして、時計を見るともう22:00が近い。あっという間に90分経ってしまった。息をつく間もなかった。
きょうの仕事を終えたお玉さんが萬燈に乗り込み、「え、ここを…?」と思うような小さな小路へ萬燈がその巨体を揺らして押し込む。太鼓が途絶え、若連中の怒号が飛び交い、でも不思議と人々はゆったりした笑顔でそれを見守っていた。
一人で見てもこんなに楽しいのに、気心の知れた誰かと見ていたら、どんなにか楽しいことか。明日の本祭は連れを予約してある。はやる気持ちを抑えきれず顔がにやけてくるのがわかる。
「舞い込み太鼓!」の声が響き、間口の狭い通りを遠ざかっていく萬燈を見送って、胸躍ったままの私は三条への帰途についた。
リポーター:きよ里(きよさと)
1977年、三条市生まれの39才。三条市公認三線(琉球三味線)奏者として、多くのコンサートやレコーディング、音楽教育の場で活動。和装愛好家でもある。
ブログ「その女、善良につき」 http://ameblo.jp/3bbs *ブログには別視点からの祭レポートもあります。
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