5/21 9:30
祭の朝は慌ただしい。
早起きして髪を巻き、予想される暑さにおののきながらも腰にタオルを仕込む。若連中のように浴衣を着てしまいたい気持ちを押し殺して、 襦袢に綿の単衣を重ね、しっかりと帯を矢の字に締め込んで車に乗り込んだ。
祭には赤い色がよく似合う。晴れ渡った青い空に、木場小路萬燈の五色の花がまぶしい。祭日和の大晴天となった。
きょうは、気心の知れた友、「殿」こと相場浩さん(以下「殿」)に同行してもらうことになった。
殿は、三条まつり若衆会の元会長で、今でも三条祭りにおける縁の下の力持ち。三条祭りと萬燈は日程が近く、日がかぶってしまえば三条祭りの関係者はどうしたって隣市の祭りを見に行けない。
昨年は同日に2つの祭りが行われ、私は燕を見物して→三条へ戻って天狗さまを見て→夜は再度、萬燈を見に燕へ戻るという強行軍で堪能した。その経験から、ぜひとも日付の分かれたことしこそは、三条祭りの関係者にも萬燈を見てほしいと願い、1年前から殿を誘っていた。
数日前からそわそわ打ち合わせをして、和装することに決めていた私たち。ここからは、角帯をスキなくキメた、レペゼン三条八幡宮氏子・殿のいる燕萬燈の風景をお送りしたい。
まずは木場小路萬燈組の門付けを見学。
木場小路萬燈組の総代、副総代と記念撮影に申し込んだところ、快く殿の肩を抱いてくださった。
私たちが5月16日の練習見学に参加していて見覚えのある顔だったせいもあるが、燕の祭メンバーはたいへん気さくでフレンドリー。若連中はふだんからやりとりしている様子が見て取れて、「仲間たちで回しているオレらの祭」という雰囲気が伝わってくる。
「ここは木場小路が回るの?」、「門付けも地域が決まっているんでしょ?」と、私がはっきり答えられない鋭い質問を矢継ぎ早に繰り出す殿を適当にはぐらかしつつ、横町萬燈組の下座が行われる本命・戸隠神社の境内へ歩みを進める。
殿の背丈を超える榊が道路の真ん中にでんと鎮座していた。「これが『境界線』かー!」と興奮気味な殿。
この榊は、木場小路萬燈組の後ろに配置され、横町萬燈組はひとりたりともこの榊を越えて木場小路組へ近づいてはいけないことになっている。逆も然り。もしも、木場小路萬燈組の誰かがうっかりこの榊より後方へ寄ろうものなら、大変なことになる。
まず血気盛んな若連中が喧嘩になる。越境した人はおそらく若連中をクビになる。祭のあとにはきっと反省会で謝罪と叱責があるのだろう。
とはいえ、そんなにカリカリした一触即発の雰囲気が常に漂っているわけではない。
もちろん越境には厳しい処罰があるだろうが、2つの萬燈組は友好的で、互いに行き来を重ねて全体で良い祭にしようという気概を共有していることは確かである。これも、どうやら、多くの(ときには流血の)トラブルと長い時間をかけて築いてきた関係性らしい。
どうも燕三条の人々は対立の構図で盛り上がるところがある。燕三条に限らないのかもしれないが…。やれここは燕だ、ここからは三条だ、とか、やれ川向こうだとかこっちだとか、別にふだんから対立なんかしてないのだが、そういうVSの決まりごとがあるのは、確かに物語としておもしろいので、そこらじゅうにある。
先輩たちの(文字通り)血のにじむような努力の末の平和であることは事実と思うが、正直なところ、個人的には現在、現役の世代の人たちは、そんなに対立を意識していないように感じる。燕VS三条もそうだ。対抗意識が相乗効果で互いを盛り上げ、ある程度、成熟したがゆえの若い世代の円満さなのではないだろうか。
血は見ないに越したことはないけれど、ひょっとすると、これから長い祭の歴史の中では、関係性が変化することもまた、あるのかもしれない。どうか穏やかであってほしいと心ひそかに願うばかり。
平和の願いを胸に戸隠神社の鳥居をくぐると、ケンオー・ドットコム佐藤雅人さんがいて、頼んでいないがガイド役を引き受けてくれた。
「地元の人のガイドがあるとぜんぜん違うよね」と食い入るように説明を聞く殿。
「かぁわいい〜。自分に娘がいて、燕に住んでたら、これはやらせたいよなぁ〜」と口角をゆるませながら連写する殿。
用意周到な殿は、木場小路と横町の両方の手ぬぐいを事前に入手し、それぞれの組を見るときに使い分けるのだという意気込みを語ってくれた。上の写真ではさっそく横若の豆絞りを巻いている。
昼近くなって気温が上がってきたため、商店街の中のバー「美しい時間」で避暑タイムを取ろうとすると、タイミングよく店内で横町の門付けが始まった。いい席で見せてもらう。
「クロワッサンたい焼きを買ってみたい」という殿の買い食いタイム。いったん荷物を車へ置きに行く間も、ピッタリと佐藤さんが寄り添う。私が殿とお話したかったのに…。
メインストリートを外れた裏通りにも見どころがあると誘われ、小路をくぐって進む2人。いよいよ「つばめのまちあるき」の様相を呈してきた。その間にも通りすがる地元の方に次々声をかけられる。
裏通りのつきあたりが戸隠神社。他の神社との比較文化論をふくらます2人。
佐藤さんの解説によると「戸隠神社はおおらかにいろいろなものを受け入れている」。確かにいろいろある。
たとえば、「つばくろちゃん」や「もち-うさぎ」などのキャラクターグッズが拝殿のいいところを、けっこう占めている。これだけキャラ推しの神社というのは三条では見たことがない。おおらかだ。
ツバメをモチーフにしたつばくろちゃんは戸隠神社のキャラクターなのでわからないでもないが、もち-うさぎは燕市生まれのキャラクターですらない。どちらかと言うと弥彦のキャラクターであろう。でも、つばくろちゃんと同じくらいの比重で推されている。
彼らが御神輿を送り出すという重要な役割を担っていると聞き、本当に驚いた。
ちなみに私がキャラクターと遊んでいる前後に、殿とはぐれてしまった。どこを探しても殿と佐藤さんの姿が見えず、暑さに朦朧としてベンチにへたり込むと、なぜか御札と御神酒を提げた2人が戻ってきた。
「どこ行ってたんですか?」
「見学してたらせっかくですからどうぞって言われて…神事に参加してた」
申し込みもしてない、氏子でもない、初めて見に来た一般客が飛び入りで神事に参加できる、ここにもおおらかさが垣間見えた。
思わぬありがたいハプニングを経て、新たな気持ちで下座を見守る殿の横顔は、どこか先程までと違う。少し日焼けもしたようだ。
「自分ちの祭は、もうずっと気が気じゃないから、楽しむとか雰囲気を味わうとかまずないんだよね。きょうは楽しい!」
「ここの近所の小学校、この週末運動会の予定だったんだよ。萬燈側が学校にかけあって、日をずらしてもらったんだって(佐藤さんの解説)」
「お祭り優先らね、そういうのいいね。うちのこどもも祭には出てほしいから、学校があっても休ませるかなあ。」
いろいろな考え方があるだろうが、これほどの祭であれば、私も同感だ。小さいときに行った祭の楽しかった思い出があればこそ、人は祭に合わせて帰省するし、若連中にも入るし、自分がお金を動かせるようになったときに寄進をしようという気にもなるであろう。
木場小路萬燈組も移動中だ。
この、おんぶして移動というのを考えた人は偉大だ。
今でこそ、親子かそれに近い年齢差でおぶいおぶわれているが、昔の萬燈の若連中は15歳からだ。お玉が11歳、若連中が16歳、そのくらいの年齢差のときはたくさんあっただろう。
「慶三郎(仮名)にいちゃん、あたし、ことしの萬燈でお玉やるときは、にいちゃんにおんぶされたい…」
「おさち(仮名)…、わかった。他の若連中には指一本ふれさせない」
「にいちゃん…!」
「もうにいちゃんって呼ぶのは、ことしの萬燈限りでやめな。いつかおさちは、おれのこと、『あんた』って呼ぶんだよ。」
「えっ、にいちゃん、それって…」
「おさちがお玉の衣装を着られなく(=大きく)なったら、祝言をあげような」
「にいちゃん!」
「おさち!」
そんなドラマも中にはあったのではなかろうか。実に妄想が膨らむシステムである。
やや日が傾いてきたが、暑さはMAXの16:10。木場小路の萬燈を、中央通りの交差点で見納める殿。
お祭りは、1人で見ても楽しいが、仲間がいればなお楽しい。Tシャツで見ても楽しいが、祭の舞台装置になってみるのもいい。
今回の私たちのように、和装するもよし。和柄の洋服をチョイスするもよし。手ぬぐいをファッションの一部に組み込んでみるもよし。萬燈組の中にいる友だちへ声援を送る人になるもよし。
単なる観覧者であるより、祭の一部として食い込めたほうが楽しい。まして地元のイベントなら、なおさら。
私の地元は三条市の嵐南(五十嵐川の左岸側に広がる地域)だが、今や日常的に燕と三条を行き来できる時代だ。電車で10分、車で20分、自転車でも40分の距離でしかない。友だちもたくさんいて、もはや燕も地元のような気になっている。
もし、旅を求める遠方の友に問われたら、私はきっとこう答えるだろう。
「燕三条に来るなら、5月が良い。雪はないし、田植えが終わっているし、いい祭がいっぱいあるから!」
了
リポーター:きよ里(きよさと)
1977年、三条市生まれの39才。三条市公認三線(琉球三味線)奏者として、多くのコンサートやレコーディング、音楽教育の場で活動。和装愛好家でもある。
ブログ「その女、善良につき」 http://ameblo.jp/3bbs *ブログには別視点からの祭レポートもあります。
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