「2」と「7」のつく日に三条市・北三条駅近くの中央市場で開かれる二・七の定期市にあわせて、三条市・まちなか交流広場「ステージえんがわ」の食堂「三条スパイス研究所」では、定期市で入手した新鮮な食材を使った朝定食「あさイチごはん」をワンコインの500円で提供している。週末にあたると100食以上を販売し、社会現象ともいえるほどの人気を集めており、昨年3月26日のオープンから次回17日(木)でちょうど100回の大きな節目を迎える。
99回目の「あさイチごはん」だった12日は、盆花や精霊棚を飾る野菜を売る店が多く並ぶ盆市だった。夜が明けきらない薄暗いころから買い物客が出始め、1年でいちばんと言えるようなにぎわいになった。ふだんは午前10時からの営業だが、あさイチごはんは午前7時から9時までの販売で、売り切れしだい終了。この日は136食を販売した。厨房もフロアもてんてこ舞いの忙しさで、ピーク時は20分ほど待ってもらうことも。それでもスタッフは「150食はいきたかった」と笑う余裕を見せた。
三条市が2014年から行った「まちなかで朝ごはん」が、あさイチごはんの前身だ。高齢者の外出機会を増やし、健康はもちろん誰かと一緒に食事することで幸福感につなげようという取り組み。三条市内の複数の飲食店が協力してメニューを決め、調理を分担して冬を除き月2回ほどのペースで行い、毎回100食を販売する人気だった。
昨年3月26日、中央市場となりにステージえんがわがオープンすると、その事業をあさイチごはんとして引き継いだ。三条スパイス研究所が調理を担当。あさイチごはんの日が定休日の毎週水曜と第1火曜に当たっても、定休日を翌日にして休まずあさイチごはんを提供している。
回を重ねるごとにリピーターが増え、用意する量を増やしてきた。今では平日は40食以上、週末や休日は100食以上に対応する。これだけの量の朝定食を販売する飲食店は珍しい。社会現象と言いたくなるほど評判だ。
メニューはご飯に味噌汁に惣菜の和食が基本だ。12日のメニューは「冷やしのっぺ定食」。正月の郷土料理「ひやしのっぺ」に「とうもろこし・桃・法レン草白和え」、「神楽南蛮肉味噌」、「胡瓜漬もの」、「焼きしめじとおあげの味噌汁」、そして「白めし」。これだけの料理を500円で味わうことができ、満足感もコストパフォーマンスも申し分ない。
加えて新潟の食材、神楽南蛮は子どもも食べやすいようにとくに辛い種を取り除いて辛さを抑えたり、味噌汁が冷めにくいようにシメジを焼いてとろみをつけたりといった心憎い工夫も随所にある。
あさイチごはんを仕切っているのは、三条スパイス研究所の料理人、岩田靖彦さん(35)。“がんちゃん”の愛称で親しまれ、ムードメーカーである。あさイチごはんのレシピをほぼひとりで考案する。
父は北海道、母は東京の出身で、東京生まれの宮城県仙台市育ち。高校を卒業すると18歳で上京。祖父が時計店を営み、手先の器用さの素養もあったのか、内装職人になって高所作業車の運転や溶接、研削といし取替試運転作業者などの資格も取った。
間もなくコピーライターのアシスタントに就いたが、月2万円の薄給では生活できるわけがない。掛け持ちで吉祥寺の飲食店で働いたのが、料理人としての第一歩となった。職場でのいい出会いもあって料理の世界に引き込まれた。その後、やはり吉祥寺にあるタイ料理とベトナム料理を中心とした無国籍料理店で1年ほど働くうちに、和食の方がおいしくつくれるんじゃないかと思うようになった。
これはと思う店を探して吉祥寺の割烹料理店をたずねたが、カウンター8席だけの小さい店で、人手はいらないと断られた。もう一度、たずねると銀座の料理店「うち山」を紹介してくれ、2年間、働いた。その間に子どももできた。今度は創業40年になる老舗、六本木の串焼き店「串焼がんちゃん」で8年間、働いた。そこでは、まかない料理を任され、一品料理を学んだ。
「まかないは死ぬ気でやれ」と言われ、その経験が今の岩田さんの料理人としての屋台骨になった。こうした経歴で磨かれた腕から生まれるあさイチごはんのレベルのの高さは言うまでもない。料理のビジュアルにも気を配る。「きれいなだけではだめ。どこか崩しが必要」が持論の盛りつけにもこだわる。
自分で筆で書くお品書きも味わいがあり、多才だ。「大金持ちになって専属の料理人を雇えるようになったら絶対、岩田さんを雇う」、「食べる人を幸せにしてくれる料理」と岩田さんの料理を愛するファンがいるのもうなずける。
子どもは10歳の長男と4歳の二男のふたり。子育ての環境を考えて2015年に妻の実家のある出雲崎町へ移住した。それから勤め先を探し、縁あってオープン時から三条スパイス研究所で働いている。
あさイチごはんを任されていることについて「ありがたいこと」と岩田さん。これまでの献立といちいち照らし合わせているわけではないので絶対ではないが、原則として同じ献立は二度、つくらないようにしている。
作ったことのある料理だけではネタが尽きてしまう。違う料理をつくり続けるには新しい料理に挑戦することが必須。そのために「知っている料理名を先に考えて、それを追いかけるようにしている」。メニューを決めてから必要な調理法を調べる。三条スパイス研究所を運営する株式会社リトモの熊倉誠之助社長に聞くこともある。
最近のあさイチごはんも「鮎雑炊定食」、「牛タン柔らか煮とズイキ酢の物定食」、「鯨汁とコシヒカリ定食」、「伏見唐辛子とじゃこの焚き合わせ定食」と名前だけでも食欲をそそる。メニューは前日に三条スパイス研究所のFacebookページに掲載する。あわせてメニューや時季にちなんだコラムのような文章も読み応えがあり、一読に値する。
「あさイチごはんを1年間、やりながら教わってきた」。毎日が真剣勝負。「常に本気で一人ひとりに向き合うつもりでやってる」、「下ごしらえに手間が倍くらいかかっても手間を惜しまない」。料理に向かう姿勢は熱い。
あさイチごはんにも、さまざまな思いが込めてある。だしは調味料を使わずにしっかりとる。ちゃんとうま味があれば、塩分を抑えることができる。その心は「高齢者の健康につなげたいし、健康寿命を伸ばしたい」。さらに魚は骨抜きしたり、ゴボウやレンコンは食べやすいように小さく切ったりと気遣いする。「食べられなかったものが食べられるようになれば食育としていいのでは」とも期待する。
あさイチごはんは「地域と三条スパイス研究所をつなぐ可能性を広げてくれる。あさイチごはんに来た人がスパイスに興味をもったり、三条スパイス研究所のワークショップに参加したりしてくれ、つながりのいいきっかけにもなってくれている」。
定期市の露店商から学ぶことも多い。あさイチごはんが予定より多く出て足りなくなることがあるので、常にプランBを想定。露店へ買い出しに走って品切れになったメニューを違うメニューに置き換えることがある。材料を買いに行けば料理の仕方も教えてくれることもあり、調理したら味見をしてもらうこともある。指摘や改善を求められることもあるが、「小言を言ってくれるのもありがたい」と厳しい評価にも感謝する。
スタッフはもちろん、配膳などを手伝ってくれるボランティアの存在もある。「みんなでつくりあげている。だからおもしろい」。あさイチごはんが終われば、休む間もなく5日後の次のあさイチごはんのプランを練らなければならず、「プレッシャーは毎日ある」。
大きな節目の100回を迎えても「100回やったんだなと思うだけ」と素っ気ない。「うちうちのことなんで、節目ではあるけど燃え尽き症候群もないし。あくまでも通過点」と気負いもない。決めているのは「白いご飯を出すことだけ」とうそぶくが、12日まで天日干ししていた梅干しは使いそうな気配。17日の100回目に期待するなという方が無理かもしれない。