新潟市西蒲区の巻地区で盆を郷土玩具「鯛車(たいぐるま)」の色で赤く染めたいと墓参りの13日夜、新潟市巻文化会館でことしも「鯛の盆」が行われ、鯛車の展示、貸し出しが行われた。
鯛車は車輪のついた台車にタケの骨組みに和紙を張り、タイをかたどった灯ろうを載せた郷土玩具。分布ははっきりしないが、西蒲区だけでなく、かつては三条市でも8月10日の観音まつりに鯛車を引いて参拝に出掛けるの風習があった。
2005年に鯛車復活プロジェクトが発足。教室を開くなどして鯛車を作れる人を育てることから始めた。「鯛の盆」はプロジェクトで作った鯛車を展示し、貸し出して、鯛車を引いて出掛ける昔ながらの墓参りの風景を復活。11年に初めてことしで7年目になり、巻地区まちづくり協議会が主催する。
会場の巻文化会館には、11年に倉庫をリフォームして工房とギャラリーが一体となったプロジェクトの拠点「鯛の蔵」が完成した。中に格納してある60台の鯛車を1台100円で貸し出したほか、裕に100台を超す巻地区の小学生が製作した鯛車や白根大凧合戦の大凧の和紙や横骨のタケを再利用して作ったあかりや竹筒を使ったあかりも展示した。
巻文化会館から北側に3つの寺が連なる。ほかにも歩ける範囲にたくさんの寺院があり、遠方から訪れて巻文化会館に車をとめ、鯛車を借りて寺へ向かう家族も多い。毎年100人ほどが鯛車を借りる。
日暮れとともにろうそくをともした鯛車やあかりが輝きを増し、幻想的な雰囲気に。浴衣を着た子どもも多く、ガラガラと音を立てて鯛車を引く姿は遠い昔にタイムスリップしたよう。
今の子どもたちにも鯛車は大人気。ずらりと並んだ鯛車に目を輝かせた。手作りなので体の形や表情が異なるだけでなく、ほおかむりしたり、数珠をかけたりとアレンジしたものも多く、鯛車を1台ずつ入念にチェックしてお気に入りを選ぶ子どももいた。
また、新潟市の姉妹都市でもある米国テキサス州ガルベストン市と13年から交流しており、ガルベストン市民が来日して鯛車を製作したり、逆に巻からガルベスト市へ出向いて鯛車教室を開いたりしている。「鯛の蔵」では巻地区で活動するグループ「中吉川AP」が毎年、イベントを企画しており、ことしは仮想のラジオ局「TAIGURUMA RADIO STATION」が出現。来年3月まで開設している。
糸電話のイメージで、参加者から紙コップにメッセージを書いてもらい、横に張ったテグスに紙をコップを取り付けてもらう。メッセージは英訳されてガルベストンへ届け、地元のエフエム角田山「ぽかぽかラジオ」やガルベストンのラジオ番組でもメッセージが放送される。盆の「迎え火、送り火」の風習をラジオという方法で表現し、遠く離れた人に思いを伝える。
巻地区に住む鯛車復活プロジェクトの代表、野口基幸さん(36)は、小学校2年のときに鯛車を引いた記憶から、長岡造形大の卒業制作で鯛車を復活。巻祭りで鯛車の復活パレードを行ったことも引き金になり、プロジェクを立ち上げた。
巻地区には6000世帯あり、これまでに約1000台の鯛車を作った。50年で全世帯に鯛車が行き渡る計算で、野口さんは「それまで生きていられるかどうか」と笑い、「12年前に鯛車の作り方を教えた子どもが、今は社会人になって教室を手伝ってくれている。受け継いでいくことが大切で、少しずつ長く続けていきたい」と話している。