「燕音頭」と「燕甚句」も踊り続けてほしいと、初めての燕市民謡団体有志による納涼盆踊り大会が16日夜、燕市役所燕庁舎駐車場で開かれ、多いときで40人ほどが踊りの輪をつくって踊りに熱中した。
昨年、解散した燕民謡協会を60年近く前に立ち上げた燕市水道町1、高三仏壇の高橋庸三さん(78)らの呼びかけで、燕もみじ会、燕千秋会など燕市内の民謡団体の有志らが主催して開いた。地元の白山町二丁目・三丁目自治会、寿町自治会、下太田自治会、それに「燕音頭」の振り付けをつくった花柳流秀芳会も後援した。
地元燕市燕地区の飛燕夏まつりでは、婦人会が盛んだったころは「燕音頭」と「燕甚句」を踊る人も多かったが、今は「燕ばやし」が中心になってって「燕音頭」、「燕甚句」を踊れる人が減っていることから、「燕音頭」と「燕甚句」を踊れる人を増やし、普及したいと開いた。
矢倉もちょうちんもなく、駐車場に設置された照明を頼りに踊りの輪をつくった。カラオケで「燕ばやし」を踊ってから、質素なステージで民謡団体による演奏にあわせて「燕音頭」と「燕甚句」、さらに「佐渡おけさ」も踊った。
今の時期としては涼しく、踊り浴衣で踊るにはぴったりの過ごしやすい陽気だった。会場を訪れる人のほとんどが踊り手で、飛燕夏まつり前に行っている踊りの練習会に参加している人が目立ち、休憩をはさんでたっぷり踊った。
地元の大原伊一市議によると、燕庁舎の場所はかつて太田村の尋常小学校があった当時から盆踊り大会が開かれていたらしい。その後、燕西小学校に変わり、燕西小が今の場所に移転すると跡地に1962年(昭和37)に燕市役所が建設された。その駐車場で盆踊り大会が続けられたが、まもなく燕駅前に会場が移り、しばらくして開かれなくなったと言う。
主催は異なるがその意味では約50年ぶりの復活とも言える。高橋さんも期待していたように地元の自治会長らも来年は矢倉やちょうちんの設置に前向きになっており、来年の夏は完全復活となりそうだ。