今春、東京の高校に進学した三条市出身の全盲のシンガーソングライター佐藤ひらりさん(16)が28日、三条の鍛冶の起源でもある「和釘」を通じてふるさと三条を伝えたいと、「火造りのうちやま」として鍛冶を営む内山立哉さん(三条市柳川新田)を訪れ、和釘づくりを体験した。
エプロンに手差し、軍手をしたひらりさんは、近づけば気温50度という火床の前に座り、内山さんの手ほどきで材料の軟鉄をはさみではさんで火床の中に入れた。約1000度に熱し、赤く柔らかくなった材料を金づちでたたき、釘の先端をとがらせ、頭の部分は薄くして丸めて和釘を作った。
ひらりさんは、「薄くなっていくにつれてカンカン、やわらかいときはカチっと」と、音の変化で鉄の状態の変化を感じ取っていた。長さ10センチほどの巻頭釘(まきがしらくぎ)とよばれる和釘を2本作った。内山さんによると、1本目は30分ほどかかったが、2本目は一般の人より早く、仕上がりも良かったと言う。
この日、内山さんを訪ねたのは、ひらりさん自身が和釘作りを体験することはもちろんだが、いちばんの目的は夏休みの宿題として和釘を作る内山さんにインタビューすることだった。
ひらりさんが和釘について知ったのは、中学1年生のころ。三重県伊勢市の伊勢神宮にも使われている三条の和釘の素晴らしさを知り、全国各地で出演するイベントやコンサートで、「三条ではすごいものを作っている」と紹介もしている。しかし、「和釘」を知らない人が多く、なかなか理解してもらえないところもあった。
東京の高校に進学して出身地の三条には川や山があると話したら、全国から集まる同級生の地元にも川も山もあった。ほかにはない「三条の自慢は?」と考えて行き着いたのが和釘。出身地の有名なものを調べる夏休みの宿題のテーマにした。そのなかで、2人にインタビューをすることもミッションの1つで、ひらりさんは、以前に三条鍛冶道場を訪れ、この日、内山さんを取材した。
取材を終えたひらりさんは、「和釘の製造技術を継承できる人ができたら」と、後継者問題の解消を願うととともに、「1本1本、作っていく大切さがわかりました」と話した。
また、内山さんの和釘は、重要文化財などの修復に使われており、ひらりさんの通う学校近くにある寺内の修復に使われていることも知った。
進学後も月に2、3回は新潟県内でのコンサートやイベントなどに出演し、県内の人には相変わらずなじみ深い存在。県外での活躍も幅広く、この前日まで愛知県の中京テレビで「24時間テレビ『愛は地球を救う』」の番組に出演していた。
拠点を東京に移したことで、以前から活動に参加している一般社団法人Get in touch(東ちづる理事長)のメンバーとの交流から新たなイベント参加やモデルなど、音楽以外の活動にも挑戦している。
東京の生活について、「三条より歩きやすいところが多い」と点字ブロックなどの環境が整備されていることも話したが、「満員電車は大変です」とも。学校の勉強や部活動など「慣れると、また新しいことを覚えなくては。楽しんでいます」と笑顔が輝いていた。