26、27日と燕三条地場産業振興センターで開かれた「燕三条ものづくりメッセ2017」で26日、特別講演会が開かれ、東京都墨田区にある金属加工メーカー、株式会社浜野製作所の代表取締役CEOを務める浜野慶一氏が講演。150人近くが参加してものづくりの枠にとどまらなない浜野製作所の先進的な取り組みに聞き入った。
浜野製作所は1968年に先代が金属金型工場として創業。プレス加工など金属加工技術の幅を広げた。2000年には工場が全焼して会社の存続も危ぶまれたことがあった。産学官連携で電気自動車「HOKUSAI」や深海探査艇「江戸っ子1号」にかかわったことでメディアに取り上げられることも多く、インキュベーション施設の開設やものづくりのトータルサポートなど立ち止まることなく新たな取り組みを続けている。
浜野氏は火災で工場を失った当時のことについて「当たり前に仕事をもらえると思っていたが、あらためて仕事をもらえることのありがたさを身に染みて感じた」。数多くの賞を受けていることについては「時代のなかの自分たちの立ち位置をしっかりと常に定点観測しようという意味で賞にあえて意識的にエントリーしている。時代にそぐわないものは、まったくもって誰も幸せにならない」と意図を話した。
製造業については、あるていどのものなら工作機械、それを動かすソフトウエアが良くなればそれなりのものがいろんな地域で作れるようになり、「どんどん値段が下がるようなステージにある」。東京は最低賃金が全国で最も高く、地価も高い、大きな土地もない。騒音や震動の問題もあり、日本でいちばんものづくりに適していない地域でものづくりをやっている。
「東京ならではのものづくりができるではないかといのが我々の挑戦」で、東京という地の利も生かした方向性は3つ、ものづくりの情報の共有化にコミットした仕事、下請け体質からの脱却、ネットワークを活用したものづくりをあげた。
ものづくりは設計、開発、試作、量産がメーンになり、さらに組み立て、アフターフォロー、メンテナンスがあるが、開発や設計の前にもデザインやその前には事業計画もあり、「この全体がものづくりではないか」。それだけのエリア、ステージがありながら、今まで量産加工にしかコミットせず、量産加工のなかでどうやって仕事をするか、どうやって受注するばかり考えてきた。
「全体を見るともっと活躍できるステージがあるのでは、もしくは活躍ステージをつくらなければならないと思った」とし、そこから導き出した取り組みなどを話した。
参加者のほとんどが経営者。同じ経営者として浜野さんの実体験から出る言葉には説得力があり、共感して大きくうなずくことも多く、柔軟なものづくりに対する考え方に刺激を受けていた。