50年ほど前に燕市分水地区の市街地に店を構えた大衆食堂「ライオン食堂」が10月24日、閉店した。ソウルフードを提供して地元に愛された名店の閉店を惜しむ声は多い。
遠藤六一郎さん(74)、悦子さん(75)夫婦で店を切り盛りしてきた。みそラーメンやカツ丼が人気で、カレー中華、焼きそば、カレーライス、チャーハン、丼物、野菜いためなど大衆食堂では定番メニューを一通りそろえていた。
最近になって冷蔵庫、エアコン、ストーブが次々と壊れた。2人とも後期高齢者とされる年齢にもなり、ここが潮時と急きょ、店をたたむことにした。
「ライオン食堂」という店名の由来はあまり知られていない。終戦後、六一郎さんの父が開いたカフェの店名が「ライオン」で、その名前を引き続いた。六一郎さんは店を継がず、三条市の金物卸商に勤めたり、トラックの運転手として働いたりした。
父は六一郎さんが21歳のときに亡くなり、カフェも閉店したが、25歳のころに悦子さんが家計の助けになればと「ライオン食堂」を始め、それから間もなく六一郎さんも勤めをやめてふたりで店で働くようになった。
世は高度経済成長期の右肩上がり。どんな商売をやってもうまくいくような時代だったが、それも今は昔。店の景気はいいときと比べて3分の1になった。最近はもっぱら出前が中心だった。しかし、出前と店の客を両立させるには最低3人は必要で、夫婦の負担は大きかった。
閉店を1カ月ほど前から告知すると、最後にもう一度、「ライオン食堂」の味を記憶にとどめようと、利用が増えたが、とても切り盛りできなくなって最後の4日間は店を開けずに泣く泣く配達だけにさせてもらった。自宅は店とは別の場所にあるが、31日もふたりで店に来てあと片付けをしていた。店は空き家になるので、いずれは解体することになる。
客は地元頼みだが、商店街はシャッター通りのようになり、工場も減った。かつては市街地に分水町役場があったが、11年前の合併で今は分水サービスセンターになっている。「昔の役場も向こうへいった。役場がないだけで人の集まりが違う」と六一郎さんが言えば、悦子さんも「役場へ来たついでに寄るお客さんがいたんだけど」と嘆く。「これから商売していくにも皆さんは大変だと思うよ」と六一郎さんは地元の商店街の先行きを憂う。
店とともに歩んだ50年をふたりは「あっと言う間だった」と口をそろえる。店の後継者はなかったが、孫は医師や看護師になって安心させてくれた。若いころから地元の主に自営業の友だちと「わがまま会」をつくって定期的に旅行に出掛けている。前の週も栃木県の鬼怒川温泉へ出掛け、日光東照宮も見てきた。
六一郎さんは「このままいったって75にもなれば、仕事もできねて」と言うが、ふたりとも健康なのが何より。パチンコ、麻雀、魚釣りに熱中したこともあったが、今はとくに趣味はない。仕事をやめて1カ月もたつとうずうすしてきそうだが「そのうち考えとくて」と六一郎さんは笑った。