大相撲の横綱日馬富士が29日、引退を表明した。各界には大きな損失だ。日馬富士が所属する伊勢ヶ浜部屋の夏合宿が行われている弥彦村をはじめ、夏合宿を支援する県央地域の伊勢ヶ浜部屋の後援者にも衝撃を与えているのは間違いない。
2015年8月、弥彦神社の御遷座100年記念事業として新築された相撲場の相撲場開きでは、日馬富士が土俵入りを披露。翌16年5月には県内有志による相撲の普及を図る一般社団法人どすこい越後が発足し、16年、17年と弥彦村での伊勢ヶ浜部屋の夏合宿を主催した。
さらに相撲場を生かして村づくりをと16年6月には弥彦村の8団体で相撲の郷プロジェクト実行委員会を組織。相撲場開きをきっかけに弥彦村と日馬富士の故郷、モンゴルとの交流も始まり、16年4月に弥彦モンゴル友好協会が発足し、8月には弥彦村はモンゴル中央県エルデネ村と友好都市協定を結んだ。
こうした弥彦村と相撲、モンゴルとのつながりの要となったのが伊勢ヶ浜部屋であり、日馬富士だった。日馬富士が引退しても弥彦村とモンゴルの関係にはこれまでと変わらないだろうが、今後も継続する考えだった夏合宿には少なからず影響を与える。日馬富士がいなければ集客も減るだろうし、協賛金集めも難しくなる。
地元の後援者からもすでに日馬富士はピークを過ぎているという声もあった。伊勢ヶ浜部屋には、やはりモンゴル出身の大関照ノ富士がいる。日馬富士には少しでも長く現役で活躍し、照ノ富士を育ててほしいと願う人もいたが、思わぬ形で引退することになった。
事件の詳細はまだ明らかになっていないが、時計の針は戻らない。日馬富士があったからこそ弥彦村が切りひらくことができた道をこれからも守り続けることが、日馬富士の恩に無着ることだろう。