燕市は20日、燕三条地場産業振興センターでスポーツ指導者講習会を開き、スピードスケートで日本スケート界初の金メダリストとなった元スピードスケート選手、清水宏保さん(43)の講演を約200人が聴いた。
清水さんは北海道帯広市出身で北海道千歳リハビリテーション大学客員教授。1998年の長野五輪のスピードスケート500mで金メダル、1000mでも銅メダルを獲得。02年のソルトレークシティー五輪では500mで銀メダルを獲得し、国内で個人で五輪の金、銀、銅のメダルを獲得しているのは清水さんだけだ。
10年に現役を引退すると大学院で医療経営を学び、弘前大学大学院で医学博士の取得を目指す一方、札幌市内で株式会社two.seven(ツーセブン)の代表取締役を務め、テレビ出演や講演活動も行っている。
講演では冒頭、清水さんが長野五輪で金メダルを獲得したときの映像を上映し、続いて清水さんが入場した。映像に記録されたスピードスケートのぴっちりしたスーツを着た清水さんとは打って変わって、アースカラーのスーツにネクタイ、遠近両用めがね。銀メダルを参加者に回して見てもらいながら講演を進めた。
講演のテーマは「夢をあきらめないで〜スポーツを通じての人間力の可能性〜」。清水さんは13年に20坪の整骨院から始め、通所介護施設や訪問看護ステーション、スポーツジムなどを経営。ことし10月には通所介護施設に併設して50床、50部屋のサービス付き高齢者住宅を建設することを話した。
なぜスケート選手を育てないのかと言われることがあるが、「違う人生で何かを築きあげていきたい」、「スポーツ選手が悩むのは次の人生。セカンドキャリア」で、「自分のやってきたスポーツをただの経験で終わらせることなく、その経験を次の人生で生かせるらえような人生設計をいちアスリートとして成功してみたい」と思った。
「(アスリートの)セカンドキャリアを構築したいという思いであえて事業をやっている。こういったなかで将来的に日本スケート連盟とかにスポーンサーできたり、やめた選手がぼくの会社に入ってくれたりしたらいいなと思う」と夢を語った。
初めての五輪出場だった94年のリレハンメル五輪では、五輪の出場しか考えてなく、五輪の空気にのまれて心も体も準備ができず「ぼろ負け」だった。長野五輪に向けて気持ちを切り替え、会場に行ったら観客席に行って自分のレースをイメージしてからウォーミングアップに入るようにし、もうひとりの自分をつくりながら、アスリートにも、観客にも、監督にもなって多角的な目線を感覚的にもつようになり、いろんなことをやって4年後の長野五輪で金メダルを取ることができた。
プレッシャーは楽しむものとも言われるが、清水さんの考えは「プレッシャーは乗り越えることでサプリメントになる」、「プレッシャーに慣れていくしかないという覚悟がぼくを成長させてくれた」と話した。現役時代も今も意識しているのは、目標設定、改善、危機感の3つだけとし、それぞれについて話を進めていった。
スポーツ指導者講習会とあるように指導者が主な対象だったが、指導者の出席は一握りで、多くは清水さんのファンで、長野五輪で清水さんが金メダル獲得に心を躍らせた人たち。立ち見が出るほどの人気で目を輝かせて聞き入っていた。
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