東日本大震災から7年の11日、震災直後から避難者を受入れている三条市は、三条市総合福祉センターで「東日本大震災 黙とう及び献花」を行い、避難者や市民80人余りが参列して犠牲者を追悼した。
同センターの1階ロビーに献花台をもうけ、国定勇人市長をはじめ、三条市に避難している人など市内外の避難者、三条市民などが参列。震災が発生した時刻と同じ午後2時46分、被災地の方角に向かって参加者全員で黙とうをささげ、参列者全員が献花した。
献花を終えた南相馬市から母娘で避難しているという大山さん(50歳代)は、この7年を振り返り、「あれから7年もたっちゃったのか。まだ7年しかたっていない。と両方の思いがあります」と話した。「まだ」というのは、原発事故の解決がされていないこととし、国は急ぎ過ぎているとも。
また、亡くなった親戚や友人、知人もたくさんおり、申し訳ないと前置きしたうえで、「毎日、普通に暮らせていることがありがたい」。「悩みや葛藤はあるが、普段は思わないようにしている」。今後、どこで暮らすかが大きな課題であり、「これから(家族で)話し合って、一歩でも前に進めなくてはいけない」と、涙をふいた。
7年前、南相馬市からバスに乗って到着したのが「ソレイユ三条」。その後、体育文化センター、総合福祉センターと避難所を移り、借り上げ住宅に。娘と2人で三条市で避難生活を送り、仕事の関係で福島にいる夫や両親と離ればなれの生活が今も続いている。当時、中学生だった娘は大学生になり、「感謝しかない」と話したが、「その成長を父親である夫は毎日、見ることができなかったことは残念」。
大山さんは、「生きていることに感謝している。家族がいてくれる」、「毎日、あたたかいご飯とみそ汁が食べられる」、この2つを毎日、感謝していると言い、「涙もろくなったんですよ」と再び、涙をふいていた。
また、昨年まで、市とさんじょう∞ふくしま「結」の会(佐竹紀代表)が共催し、追悼式典というかたちで開催していたが、同会の方から辞退し、黙とうと献花のみとした。佐竹代表は、「これまで十分して頂いた。(7年目は)大きな区切りと思っている」と感謝していた。
国定勇人市長は、避難者への今後の支援などについて報道機関のインタビューにこたえ、「ひとことで片づけるのは難しいが」としながら、「とにかくひとり残らず生活再建の一定のめどがついたなと思っていただける日まで、とにかく寄り添い続ける。これにつきる。これから先、あらたな支援や策が出てくるわけではないかもしれないが、少なくとも今までやってきたことをやり続けていく。これにつきると思っている」と話した。