21日行われた三条市成人式での国定勇人市長の式辞。痛快ですっきりした。というのも、この3日前に行われた燕市成人式からもやもやを引きずっていた。
燕市成人式は近年になく騒がしかった。10人以上の一団が式典中に大きな声を上げたり、席を立って会場を出入りしたり。あまりの騒がしさにステージであいさつする人の声が聞き取りにくくなるほど。それに負けないように声を張り上げてあいさつする人も多く、明らかに式典運営の支障になっていた。
この事態にどう対応するのかと思っていたが結局、会場に持ち込まれた酒を外に出したり、静かにするよう職員が小声で注意したりするていどにとどまり、騒がしさが収まることはなかった。
騒々しい新成人も騒ぐのはあくまでも手段で、目的は目立つこと。目立つためには騒げばいいというわけ。それで刹那的な承認欲求を満たせる。その証拠にアトラクションではそれほど騒がない。アトラクションは全体がにぎやかになるので、そこで騒いでもあまり目立たないから。
騒いでる新成人も、一人ひとりはふつうに気のいい人だったりする。終わりなき日常を生きるなかで、成人式のときくらい騒がせてくれというのもわからなくもないし、それほど目くじらを立てるつもりもない。しかし、騒いでいる新成人がまるでそこにいないかのように、あるいは透明人間かのように振る舞うおとなの姿は、どうにもしっくりこない。
壇上から注意することで逆に噴き上がってもっと荒れるリスクもあるだろう。それでもおとなの役割として注意し、たしなめるべきじゃないかと。ずっと頭の隅にひっかかってもやもやしたまま、3日後の三条市成人式を迎えた。
どうなるんだろうと見ていたが、燕市成人式と比べると拍子抜けするほど静かだった。燕市成人式の騒がしさが10とすると、三条市成人式は1か2くらい。これくらいなら注意せずに進行できるレベルだと思った。
しかし国定勇人市長が式辞を始めて間もなく、話し声ならともかく歌を歌う新成人が。明らかに挑発的な態度だ。さすがに国定市長もかちんときたのだろう。無視することもできただろうが、国定市長は式辞を中断した。歌声だけが会場に響き、国定市長が沈黙すること約10秒。ようやく口を開いた国定市長は「新成人になった以上、ルールを守りなさい。それ以上、騒ぐようであれば、ぼくはここのセンターの理事長として施設管理権をもって退去を命じます」と毅然と言い放った。
「よくぞ言ってくれた!」と、胸のすく思いだった。新成人を含め会場のほとんどの人が心のなかで拍手したに違いない。その後はそれまでにも増して水を打ったように静まり返った厳粛な式典になった。国定市長は2013年の三条市成人式の式辞でも「キレたくもなりますよ」と騒がしい新成人をたしなめている。そうすることが自身の役割とも考えているのだろう。
運営側にも問題があった。三条市成人式では、開式前にステージに上がろうとする新成人はいなかったが、上がろうとしたら制止する担当を配置していた。燕市成人式は制止する担当を置かず、開式15分ほど前には新成人が自由にステージに上がってはしゃいでいた。ここで制止していたら式典はもう少し静かになっていただろう。
近年の三条市や燕市の成人式はおとなしい。振り返ると東日本大震災のあった2011年の成人式は、物音すら聞こえず尋常ではない静寂に包まれた。それ以降、成人式は比較的、おとなしくなっていただけに、ことしの燕市成人式の騒々しさは久しぶりだった。そう考えると騒げるということは、それだけ平穏無事であることの証拠なのかもしれない。