生まれ故郷の三条市ではあまり知られることのなかった洋画家、森川ユキエ(1918-2009)の生誕100年を記念した企画展が、19日から7月29日まで三条市歴史民俗産業資料館で開かれている。
森川ユキエは三条市西裏館で金物工場を経営する峰村峰吉、シズの長女に生まれた。三条尋常高等小学校高等科を卒業し、36年に上京し、京橋の日本タイピスト女学院入学、40年に虎ノ門のイトウ洋裁研究所を修了し、このころから自己流で絵を描き始めた。41年から数寄屋橋のクロッキー研究所に通い、そこで知り合った森川■(“金”へんに“英”)と知り合い、のちに結婚した。
春陽会、新興美術院、女流画家協会、国画会、自由美術家協会などを経て、64年には主体美術協会の創立に参画。同じ年に初めて個展を開催して以後、たびたび個展を開いた。新潟県内でも89年に「新潟の絵画100年展」、第49回女流画家協会展長岡展に出品し、99年には新潟市美術館で「郷土作家シリーズ 妖かしの無言劇場 森川ユキエ展」が開かれた。2009年に91歳で死去した。
神奈川県鎌倉市で夫婦で創作を続け、1960年に夫が48歳の若さで死去すると、その2年後から旧姓のままだった作家名を「森川ユキエ」にあらためた。ふるさと三条市を舞台に描くことはあったが、三条市の美術界との接点は少なく、地元ではほとんどその名を知られなかった。
三条市歴史民俗産業資料館では2016年度に開いた2回の企画展でそれぞれ森川ユキエの作品を2点ずつ展示したが、森川ユキエの作品ばかり集めたのは今回が初めて。生誕100年を記念して企画した。
三条市歴史民俗産業資料館では森川ユキエの実家に残る作品約200点のうち30点の寄贈をうけた。今回はそのなかから12点と旧三条小学校の校舎改築記念で寄贈された1点、夫が描いた森川ユキエの肖像画1点の計14点を展示している。
最も古いのは、旧三条小に寄贈された1952年ごろに制作された静物画「鶏頭」。60年前後の作品はジャガイモがモチーフの現代的な作品で、ジャガイモを擬人化した表現もある。その後は人間が消えて身につけた服だけが残ったようなシュールな作品、さらに90年代になると人間をマネキンで置き換えた作品が中心になる。
マネキンの作品は弥彦線高架、高架化前の線路の踏切や北三条駅の電話ボックス、八幡宮の池に架かる橋など三条市を舞台にしたものが多く、地元の人たちにはよりいっそう興味深く鑑賞できる展覧会になっている。午前9時から午後5時まで開館、休館日は月曜(祝日の場合は開館)。入館無料。
(佐藤)