三条市吉野屋、石動(いするぎ)神社の夏季大祭宵宮の14日(土)に、ことしも花燈籠(はなとうろう)押しを奉納する地元吉野屋の青年でつくる吉野屋花燈籠講(角田徹講長・講員64人)は、その前週の8日、2基の花燈籠を組み立てた。
朝から講員20人ほどが吉野屋フォーラムに集合した。花燈籠は1.8×1.2メートルの木枠がベース。色とりどりの造花を立て、協賛企業名を書いた札を取り付け、木枠に張る紙に絵や文字を書いた。同様に小型の子ども用の花燈籠も組み立てた。
一方で県道8号長岡見附三条線近くのドライバーから良く見える場所に花燈籠押しの開催時期を知らせる高灯籠も設置した。
当日は拠点の吉野屋フォーラムで午後1時から3時まで「ちびっこ縁日」としてスーパーボールすくい、射的、ビーズ作りを行い、5時に子ども燈籠と花燈籠が同時に吉野屋フォーラムを出発し、一緒に石動神社大門前へ向かう。
昨年までは子ども燈籠は1時間早く出発したが、別々では手間がかかり、同時にやった方がにぎやかさも増すのではと、ことしは一緒に行うことにした。5時20分に石動神社大門前でおはらいを行い、そこで子ども燈籠は終了。その後も花燈籠は吉野屋地内を巡行する。
8時ごろから花火の打ち上げもあり、最後の大スターマインを含めて12番の花火を打ち上げる。花燈籠は9時20分ごろに神社下に到着し、威勢良く花燈籠をもんでハイライトを迎える。最後は石段を登って石動神社境内で奉納し、日が変わるころに終わる。
石動神社は784年(延暦3)の創建で1698年(元禄11)に今の権現山に遷宮された。遷宮とともに毎年6月13日を宗祖の命日にあわせた法会「会式」が行われるようになり、それが今も月遅れで行われている。
花燈籠押しはその宵宮の行事として行われているが、いつ始まったかは定かではないが、90年以上前の大正10数年ころから今とほぼ同じ形で行われていると言う。五穀豊穣、氏子安全祈願、蚕(カイコ)への感謝が目的とされる。
戦時中は一時、中断された。吉野屋地区でも多くの若者が犠牲になった。戦後、帰郷した若者たちが終戦後から2年後の1947年(昭和22)4月には花燈籠講を復活させて今なお続いている。ただ、最盛期は花燈籠は7基を数えたが、近年はずっと2基にとどまっている。
講長は1年交代でことしは会社員角田徹さん(37)。子どもころから子ども燈籠に参加している。「あの当時は子ども大勢いて。鹿島アントラーズのJリーガーを描いたのを覚えている」と思い出す。
「よそからの人にも見てほしいが、吉野屋の家の人からたくさん見に出て来てほしい。祭りの良さを再確認するような祭りにしたい」と話している。