2004年の7.13水害から14年の13日。9人の尊い命が失われた三条市では、ことしも五十嵐川の堤防が決壊した場所に造られた五十嵐川水害復興記念公園で犠牲者に黙とうをささげた。風化も懸念される今、国定市長は「逃げどきマップ」の再確認を市民に求めた。
この日、公園内の慰霊碑の前に献花台を設置。国定勇人市長、阿部銀次郎市議会議長、山田尚彦新潟県三条地域振興局長はじめ、市、市議会議員、県関係者、市民など20人余りが参列。
くもり空の蒸し暑さのなか、14年前に堤防が決壊した時刻の午後1時15分に、犠牲者に1分間の黙とうをささげた。続いて、1人ずつ献花台に白い菊の花をたむけ、濁流が流れ込んだ嵐南側に建つ慰霊碑に向かい手を合わせた。
献花のあと、報道関係のインタビューに国定市長は、毎年、尊い命を失われた方々に対して、哀悼の意を表するとともに、亡くなられた方々の教訓をしっかりと活かすという意味で、あらためて災害に強いまちづくりに向けた気持ちを新たにするが、西日本を中心とした未曽有の水害が発生していることしは、毎年の思いとはまた別に、わたしたちもまた、災害に強いまちづくりにしっかりと取り組んでいかなければいけないと、今まで以上に強く思いながらお参りをさせて頂きました。
また、14年経った今、見えてきた課題はという質問には、7.13水害から14年、7.29水害から7年の月日が経過し、公助の世界でも、7.13水害から数えると4分の1以上の世代が実際の大規模な災害を経験していない世代となり、毎年、訓練を重ねているが、リアリティのあるマニュアルを維持するとができなくなっているのが正直なところで、徹底的なマニュアルの見直しをかけていた。私たちも西日本の豪雨災害を対岸の火事と捉えず、しっかりとわたしたちの糧としながら、災害に強いまちを推進していく必要がある。
共助、自助の世界でも風化が始まっているのも否めない事実と思っているので、子どもたちに対する防災教育をしっかりやっていくこと、市民の方たちに「逃げどきマップ」=三条市豪雨災害対応ガイドブック(ハザードマップ)=をもう一度見て頂きたいと話した。
(坂井)