新潟県燕市の戸隠神社(星野和彦宮司)は、ことしで再建100年の大きな節目を祝い、秋季大祭の宵宮にあたる9月15日(土)、再建百年記念大祭が執り行われる。全国に知られる長野県長野市の戸隠神社や弥彦神社を迎えて行列を行い、神仏習合だった時代に戻って祝詞に続いて万福寺による読経も行い、「歴史を繙(ひもと)く」をテーマに燕戸隠神社の鎮座から史実に基づいて再現する過去に例のない祭典となる。
行列は社名旗を先頭に約40人で編成し、午後4時半に中央2集会所前を出発する。こうした行列では祭主を守る朱傘だけ1張りだけあるのが一般的だが、今回は7張もの朱傘が開く。
朱傘は、渡辺大蔵禰宜(ねぎ)、燕戸隠神社にゆかりのある岡部家、万福寺の田辺良文住職と田辺良元副住職、信州戸隠神社の水野邦樹宮司、弥彦神社の米山信禰宜、そして燕戸隠神社の星野宮司の順に列する。15:30 | 天麻那舞 | 現代版岩開きの舞を奉納 |
16:30 | 行列出発 | 中央2集会所を出発、稲荷神社でおはらい |
17:00 | 記念大祭 | 星野宮司が祝詞をあげ万福寺の田辺住職が読経 |
19:00 | 神楽舞 | 燕御神楽伶人会が神楽舞を奉納 |
燕駅前へ向かい、駅前通りから燕戸隠神社へ向かうが、駅前の手前に鎮座する稲荷神社の境内でおはらいを行う。稲荷神社は燕戸隠神社がまつる神が鎮(しず)まった場所とされる。
5時から拝殿で祭典を行い、星野宮司の祝詞に続いて燕市灰方にある万福寺の田辺住職が読経を行う。燕戸隠神社は明治の神仏判然令以前、天和3年(1683)から戸隠大権現社となり、万福寺が管理しており、神仏習合だった当時を再現するもので、戸隠神社となってから万福寺が読経するのはおそらく初めてで、約150年ぶりになると言う。
当時のなごりで今も神社の祭りで日を掛けて神官の祝詞と僧りょの読経を続けているところはあるが、同じ日に、しかも同じ神事のなかで行われるのは極めて珍しい。
一方、記念大祭をはさんで奉祝行事として、3時から拝殿で三条市出身のセラピストの村上舞那さんが主宰する「天麻那舞(あまなまい)」の女性13人が現代版岩戸開きの舞を奉納。7時から燕御神楽伶人会が神楽舞を奉納する。
燕戸隠神社は約450年前に開かれ、明治元年(1868)にそれまでの戸隠大権現社から戸隠神社となった。明治41年(1908)に燕大火で社殿を焼失。明治45年(1912)の大火で社殿を焼失した弥彦神社が建てた仮社殿を譲り受けて幣殿とし、本殿を新築して大正8年(1919)に再建した。
本殿は伊勢神宮内宮の建築様式である屋根に千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)が施された神明造。ほかにはほとんど例がないと言う。さらに大正15年(1926)には幣殿の前に拝殿を増築した。
ことしで再建からちょうど100年目になることから、氏子総代や氏子青年会、市民有志らにより実行委員会を組織して奉祝記念大祭を行う。
全国各地に戸隠神社と称する神社がある。燕戸隠神社は中ノ口川をどこからともなく流れてきた祠(ほこら)が始まりとする伝説があるが、創建300年を迎えた昭和58年(1983)、信州戸隠神社から分霊を受けて全国唯一の正式分霊社となった。
創建300年で行った三百年祭では「ロマンを求めて」をテーマに伝説を再現しようと、道金地区からみたまを船に載せて中ノ口川を下って燕戸隠神社に納める大がかりな事業を行った。
星野宮司は史実に基づいて燕戸隠神社の歴史を目に見える形で振り返ることで「もう一度、燕のプライドを構築していきたい」と願っている。
再建百年の記念事業としては、社殿の屋根の銅板ふき替え工事、研修棟の建築、みこし格納庫の新設、職舎建設、本殿の板垣、敷石、飾り金具などの新設や修復、御簾(みす)の新設などに取り組んだ。
また、翌日16日の秋季大祭は例年なら宵宮で行っていた歴代物故宮司慰霊祭を午前11時からの例大祭と合わせて行う。それ以外は例年通りで午後3時から町内子どもみこし行列、5時から江戸神輿渡御が行われる。
(佐藤)