燕大火で焼失した社殿を大正8年(1919)に再建してから100年になった新潟県燕市の戸隠神社(星野和彦宮司)は15日、社殿再建百年記念大祭が執り行った。全国に知られる長野県長野市の信州戸隠神社や弥彦神社を迎えて7張の朱傘が連なる荘厳な行列を行い、神仏習合の時代に戻って祝詞に続いて万福寺による読経も行い、過去に例のない祭典で節目を祝った。
燕戸隠神社は約450年前に開かれた。今の燕市灰方の万福寺が戸隠大権現社として守ってきたが、明治元年(1868)に神仏判然令で戸隠神社となった。明治41年(1908)に燕大火で社殿を焼失。明治45年(1912)の大火で社殿を焼失した弥彦神社が建てた仮社殿を譲り受けて幣殿とし、本殿を新築して大正8年(1919)に再建し、それから100年になった。
創建300年を迎えた昭和58年(1983)には、信州戸隠神社から分霊を受けて全国唯一の正式分霊社となった。今回の社殿再建百年記念大祭はそれ以来の大きな祭典。「歴史を繙(ひもと)く」をテーマに燕戸隠神社の歴史を鎮座から史実に基づいて再現した。
祭典は午後から行われ、天気予報では雨が心配されたが、前後に雨が降ったものの祭典の間は、はかったように雨がやんだ。先立って拝殿で女性13人による天麻那舞(あまなまい)の現代版岩開きの舞も奉納された。
行列は中央2集会所前に集合し、燕戸隠神社がまつる神が鎮(しず)まった場所とされるJR燕駅前近くの稲荷神社まで移動して隊列を編成。燕戸隠神社の渡辺大蔵禰宜(ねぎ)がおはらいを行ってから行列を出発した。
燕戸隠神社の社旗を先頭に太鼓や笛、そして7張の朱傘が続いた。朱傘には、渡辺禰宜、燕戸隠神社にゆかりの岡部家、万福寺の田辺良文住職と田辺良元副住職、信州戸隠神社の水野邦樹宮司、弥彦神社の米山信禰宜、そして燕戸隠神社の星野宮司の順に連なった。行列は祭主を守る朱傘が1張だけが一般的で、7張もの朱傘がずらりと並ぶのは異例。この日は燕戸隠神社秋季祭礼で、露店が並ぶ神社前を威風堂々と進んだ。
神社に到着すると拝殿で記念大祭を営んだ。星野宮司の祝詞に続いて万福寺の田辺住職が副住職とともに神前法要を営んだ。万福寺は真言宗豊山派。妙鉢や太鼓を奏で、読経した。神仏判然令が出されて以降、途絶えていた約150年ぶりと思われる万福寺による歴史的な法要となった。
法要が終わると星野宮司は参列者にあいさつし、「きょうのこの神事をどうか心に留めていただき、この燕の歴史、燕の成り立ちを子、孫にも伝えていっていただきたい。さらには戸隠大神さまのご神徳をいただき、市民が平安、安寧であり、燕の産業がさらに発展、飛躍することを念じる」と述べた。
行列が集合場所に戻ると参加した神官と僧りょに対し、「おかげさまで清めの雨も午前中にあたり、すばらしい秋空のもとでこのような世紀の大祭典を執り行うことができた」、「厚かましいお願いにもかかわらずご快諾をいただいたおかげ」と感謝した。
信州戸隠神社の水野宮司は「全国にもいろいろ戸隠神社と名前がついた神社はあるが、いろいろいろやってるご縁がある、行ったり来たりすることはなかなかない。信州戸隠神社と関係の深い燕の戸隠神社が再建100年の祭りができたことは本当にすばらしい」と燕戸隠神社との縁を話していた。
(佐藤)