3度の五輪出場を果たした日本マラソン界の生きる伝説、新潟県燕市出身の宇佐美彰朗さん(75)が11日、6人目の燕市PR大使に就任した。
宇佐美さんは1943年生まれで旧吉田町出身。巻高校、日本大学を卒業し、西ドイツ・ケルン大学への留学経験もある。1992年に東海大学の体育学部教授、2009年に名誉教授となった。
メダルを獲得できなかったものの五輪では1968年のメキシコ大会からミュンヘン大会、モントリオール大会と3回連続出場を果たし、最高位はメキシコ大会の9位だった。
燕市は、スポーツランド燕を拠点に開いてきた燕マラソン大会を来年は4月20日に大河津分水さくら公園に会場を移して「燕さくらマラソン大会」と名称も新たにハーフマラソンも追加し、大幅リニューアルして開く。
その目玉としてゲストランナーを宇佐美さんに打診したのがきっかけで、大会のPRアンバサダーに就任してもらうことになり、さらに燕PR大使の就任も決まった。
11日は信濃川河川事務所大河津出張所(燕市大川津)で就任式を行い、鈴木力市長から宇佐美さんに任命書と「燕市PR大使」とあるたすきを手渡した。燕市陸上競技協会会員その後のランニングクリニックの参加者など約50人が出席し、たすきをかけた宇佐美さんは満面の笑顔で「似合いますかね?」とおどけてみせた。
鈴木市長は「小学生後半から中学生にかけてテレビを通じて宇佐美さんの勇姿に拍手を送ったひとり」とし、アメリカのフランク・ショーターに敗れて2位になった1971年の国際マラソンを覚えていて「フランク・ショーターと競い合ったのが非常に記憶に残っている。その方から燕市PR大使としていろんな力を貸していただけることになり、本当にうれしく思っている」と喜んだ。
宇佐美さんはあいさつの冒頭、「地元ってこんなに緊張するんだなと思った」。高度成長期にマラソン選手として世界的な活躍はもちろん、引退後も若手の育成に努めながらふるさととはほとんど接点がなかった。
それだけに感慨もひとしおだったようで、「これからわたしなりに何ができるか考えている」、「燕市にこれからできるだけ恩返しをすべく活動したい」と話した。
任命式が終わるとさっそくスポーツウエアに着替えてランニングクリニック。講演で燕さくらマラソン大会で3時間の制限時間内に走るトレーニングは「まずは3時間、歩き続けることを体に教えること」、片方の「せめて足の裏のかかと、親指、小指の3ポイントを意識できるように習慣づける」、「腕のふりは服のファスナーを止めるような位置にする。手を平行に動かすとほかの筋肉が余計に使われている」と長く走るこつを話した。
タイムを短縮するには「目標タイムを平均タイムで時々、走ってみる」、「(区間を目標より2分速く走って)2分の貯金ができたと思ったら大間違い。2分のつけができている」などとアドバイス。さらに外へ出て、体を前傾させてまっすぐ走る感覚を繰り返し練習した。
宇佐美さんは小柄で来年は喜寿を迎える。宇佐美さんが足先に力を入れて見せると、ふくらはぎにはたくましい筋肉が盛り上がり、参加者からはどよめきが。その場での駆け足の速さもけたはずれで、肉体の可能性の大きさを語るまでもなく宇佐美さんは自身の肉体で示した。
宇佐美さんはランニングは独学と言いながら大学で教べんをとっているだけに科学的な裏付けがあり、アカデミックな内容もかみ砕いて誰にもわかりやすく納得できるように話した。
ジョークもふんだんで、参加者からは笑顔が絶えなかった。すべての市民ランナーに聞いてほしい内容で、「もっと早くから燕で指導してほしかった」という声も多かった。
(佐藤)