先のプロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから育成1位指名を受けた新潟医療福祉大・漆原大晟(うるしはら・たいせい)投手(22)が26日、出身地の新潟県燕市の鈴木力市長を表敬訪問し「1日も早く支配下登録選手に」と決意を示した。
漆原選手は燕市の旧吉田町・粟生津地区の出身。粟生津小、吉田中、新潟明訓高から新潟医療福祉大へ進んだ。健康スポーツ学科4年で硬式野球部のエース。最速151キロの直球が最大の武器だ。
小学生時代は地元少年野球チーム「吉田ジュニアクラブ」、中学時代は県央地域が拠点の中学生公式野球チーム「三条リトルシニアリーグ」に所属。同じドラフト会議でDeNAから6位指名を受けた新潟アルビレックスBCの知野直人内野手(19)は、三条リトルシニアリーグで漆原選手の2年後輩だった。
福岡ソフトバンクホークス投手で今は同球団職員の星野順治さんは、漆原選手と同じ粟生津地区の出身。燕市名誉市民の実業家、上山善紀(1914-2009)は近鉄の社長、バッファローズのオーナーを務めた。球界を代表するバファローズの金子千尋投手の出身地は、燕市のとなりの三条市で、母の実家は燕市という縁もある。
漆原選手は大学の校章のあるジャケットとネクタイを着けて吉田ジュニアクラブの星野一好監督、小平松雄コーチとともに市役所を訪れ、鈴木市長から漆原選手に花束と、ロケットスタートを期待して、燕市で大規模ロケが行われている日曜劇場「下町ロケット」にちなんだ「下町ロケット米」もプレゼントした。
漆原選手は指名を受けたときのことを「ドラフト会議まで緊張半分、うれしさと不安が織り混じる心境のなかでドラフトの日を迎え、自分の名前が呼ばれると、ほっとしたというか、ここからが勝負だなっていう実感があらためてわいてきた」と振り返った。
今後のスケジュールは、11月30日に球団と仮契約し、12月13日から17日まで大阪へ行ってメディカルチェックなどを受け、12月15日に入団会見する。支配下登録選手に含まれない育成選手としての1位指名なので「支配下登録選手になれるように1日でも早く指名していただいたオリックスのために、チームのために貢献できるような選手になりたい」と抱負を話した。
星野監督は、吉田ジュニアクラブを結成して17年になり、漆原選手の兄が6年生のときに全国大会に出場、翌年にクラブの2期生が中学で全国大会に出て3位になったことを紹介し、「クラブを結成した意義が、少しずつ成果が出ていると思ってる。本人よりもわれわれの方が喜んでいる」と話した。
鈴木市長は、漆原選手が大学入って球速が150km出るようになったと聞いて「ずっと密かにことしのドラフトは名前が出てくるんじゃないかなと、わたしも期待と不安でその日を迎えた」と言い、漆原選手の名前が出たときは「おっ、やったーと思った」。
交流戦で燕市と連携を深めているヤクルトにも勝利してほしいが「わたしは複雑な気持ち」で、「本当はヤクルトに指名してもらえたらいちばん良かった」と本音も。名誉市民の上山善紀の存在についてもふれ、燕市とバファローズは「まんざら縁がないわけでもないとわたしは勝手に思っている」とも。
目標について漆原選手は「いちばん大事な試合で任せてもらえるような選手になりたい」。県内の野球人口が減っていることを憂えており、「新潟県の代表として燕市から、新潟県の野球人口現象の歯止めをかけれるような選手になれればいちばんいい」と述べた。
表敬後のインタビューで漆原選手は「1日1日を大切にしながら練習に取り組んでいる」、「燕市がドラマの撮影で盛り上がるなか、市長にごあいさつできたのは非常に光栄」、「体調管理にはいちばん気をつけて体力やパフォーマンスを落とさないようにしている」と答えた。
粟生津地区出身の大先輩の星野順治さんについて「自分もそこに続いていけるように」、知野選手については「ふたりで少しでも切磋琢磨しながら互いに刺激しあってひとつでもいい成績であったり、1日もでも早く新潟県の皆さまにいい報告ができるようにふたりで頑張っていきたい」などと話した。
また、この表敬訪問の進行を務めた燕市教育委員会社会教育課スポーツ推進室の沢野勇生主事は。6年生のときに捕手として吉田ジュニアクラブで漆原選手とバッテリーを組んだ。「とにかく球が速くて上へ行くとは思っていたが、プロまでとは」と驚き喜んでいた。
(佐藤)