新潟県三条市で「酒場カンテツ」、「キネマ・カンテツ座」、「かん哲」を名乗って飲食業を営んできた関本秀治郎さん(45)が、移動販売車で続けてきた塩ラーメンの販売を実店舗に代えて12月11日、オープン。満を持して亡き父、関本哲秀さんの漢字をもらい「らーめん関哲(かんてつ)」を名乗っての再出発だ。
2016年に三条市本町1の仕込み場で始めた立ち食いラーメンを17年6月から移動販売車に代えてJR燕三条駅で営業してきた。あっさりした透き通るダブルスープの塩ラーメンは評判を呼び、遠方からも客を集めた。
しかし、底冷えのする冬期間の営業は想像した以上に厳しい。衛生面から丼を使えず、使い捨ての発泡スチロールの容器を使わなければならないのも不本意だったことから、西本成寺1の元ラーメン店の空き店舗を拝み倒して借り、改装して実店舗での営業を開始した。
月曜定休で当面は午前11時から午後3時までの営業だけ。地元には県内ラーメンを代表する背脂ラーメンやカレーラーメンが有名だが、移動販売車のときと変わらず塩ラーメンだけで勝負し、値段は50円下げて1杯650円。塩チャーシューや煮タマゴのトッピング、チャーシュー丼やライスもある。
父の哲秀さんは、三条市横町1の日本料理店「かわ波」の創業者。燕三条青年会議所に統合される前の三条青年会議所で初めて高校中退の経歴で理事長を務め、一時代を築いたと言える人望を集めた。02年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、08年に62歳の若さで亡くなった。
関本さんは3人きょうだいの末っ子。東京で働いてUターンしてかわ波で修行し、父が亡くなった2年後にかわ波で働きながら「酒場カンテツ」をオープンした。父の名の「関(かん)」と「哲(てつ)」を取って「カンテツ(関哲)」。生前、そう呼ばれることがあった。
移転してミニシアターカフェ「キネマ・カンテツ座」を新たにオープンし、今は再び「酒場カンテツ」に戻して営業。立ち食い塩ラーメンは「かん哲」と名乗った。そして今回のラーメン店ではついに漢字をそのまま使って「関哲」に。社名も11月15日に「jam session people株式会社」から「株式会社関哲」に変更した気合いの入れようだ。
父は「いまだにいちばん怖かった存在」と関本さん。父の名前を掲げることで「初心に返れる。適当なことはしたくない。自分自身に喝を入れるためにも」、「自分が楽しければいいという生き方をしてきたが、それでもだんだんおとなっぽくなってきている。社名に親の名前を入れて自分に圧をかけている感じ」と自らにプレッシャーをかけている。
「カンテツ」と名乗ったのも父が亡くなってから。「生きてたらお互い照れくさいっす」、「ファザコンっすね」と苦笑い。「自分のターニングポイントにしたい」と覚悟を決めている。「らーめん関哲」は国道8号の「直江(三)」から市道西大崎西本成寺線、通称「嵐南バイパス」に入ってまもなく左手。住所は「西本成寺1-35-25」、電話は「0256-35-4660」。
(佐藤)