新潟県燕市と市内の燕商工会議所、吉田商工会、分水商工会が主催する恒例の燕市新春賀詞交換会が4日開かれ、商工関係団体など184人が出席して新年を祝い、あしさつを交わした。
毎年、会場にしている吉田産業会館が改修工事中のため、ことしは萬会館燕店に会場を移して開かれた。会場が狭くなったが、その分、例年に比べて熱気が高まった会になった。
主催団体あいさつで鈴木力燕市長は、昨年1年間の燕市を振り返り、「総じて実りある1年」と総括いた。燕市で大規模ロケが行われたTBS日曜劇場「下町ロケット」に全面的に協力し、「ふるさと燕に誇りと愛着を感じていただくことができた」。
毎週のように燕市の美しい風景が全国放送され、燕市の特別栽培米「飛燕舞」を下町ロケット米として販売し、「下町ロケット」とコラボした金属洋食器を販売した。
それと連動するように燕市のふるさと納税の申し込みが増え、当初予算10億円だったが、12月に補正予算で1億円を追加し、1月に臨時会を開いてさらに補正予算を追加しなければならず、「本当に下町ロケット効果はすばらしい」と喜んだ。
この日はいきなり株安円高となり、5月には元号が変わり、7月には東京五輪パラリンピックまで1年を切り、秋には消費税率の引き上げがある。「明確に先を見通すのは難しい」が、燕市は第二次総合計画の7年計画の4年目、中間年にあたり、人口減少対策や地方創生の取り組みが着実に成果に結びついているか評価、検証し、「そのうえで新たな課題にも向き合いながら、さらなるステップアップを図る年にしたい」。
ことしは産業振興では、設備投資意欲が旺盛で、産業団地の造成に着手し、地域未来投資促進法を活用して農業振興地域の解除に向けて少しでも風穴を開けられるように取り組む。大型連休前には産業史料館がリニューアルオープンする。
子育て環境や教育の充実では、子ども医療費の助成を現行の中学卒業までから高校卒業までに引き上げる。小学校の普通教室すべてにエアコンを整備し、6月いっぱいまでに工事を完了して「ことしの夏は涼しい環境で一生懸命、勉強してもらえる」。
水道事業は燕・弥彦総合事務組合に移管。新学習指導要領に基づき4月からプログラミング教育が盛り込まれ、スペシャル教室として仮称「燕ロボットプログラミング教室」を立ち上げる。3月31日には「下町ロケット」に出演した立川談春さんの独演会、分水おいらん道中の前日には初めての「燕さくらマラソン」を開く。
新たに提案、お願いしたいこととして2つをあげた。ひとつは外国人労働者受け入れの問題。入管法改正で4月以降、外国人労働者が増えると見込まれるため、受け入れ体制の構築を図らねばならない。
外国人登録者は450人で、うち190人ほどが技能実習生。入管法改正により技能実習でなく正規の労働者として産業を支える状況が生まれてくる。「どういう体制で構築していったらいいか議論を始めなければならない」。昨年、市と産業界、金融機関で産業振興協議会を立ち上げた。ことしは人手不足対策、燕市の産業をどういう方向にもっていったらいいか、「次の新年度のテーマとして外国人労働者の問題を取り上げなければならないのではないか」とした。
もうひとつは建物保有数の適正化。施設の統廃合で、議会に素案を説明したが、「意見交換しながら成案化し、市民の理解を得ながらこの政策を着実に進めていきたい」。昭和40〜50年代の高度成長期に建設された施設をすべて維持するのは難しく、「一定程度、人口サイズに合った公共施設の統廃合、スリム化は避けて通れないと思っている」と理解を求めた。
「課題はいっぱいあるが、佃製作所は言っている。仕事に夢をもて、挑戦し続ける限り答えはあると。その精神でことしも燕市は日本一輝けるまち燕市の実現に向かってことしのえと、イノシシのごとく一直線に進んでまいりたい」と述べた。
燕商工会議所の田野隆夫会頭はあいさつで、ことしは新しい天皇が生まれる「日本人にとって大きな節目の年」と始めた。昨年は日本商工会議所発足140周年、ことしは燕商工会議所誕生70年。9月7日に70周年記念式典と会員大会を予定している。
ことしは株式が乱高下しているが、景気は日本もアメリカもすこぶるいいと思っている。その理由は「完全雇用に近い状態で働く人が職場を求めるのにまったく不足がないというくらい」求人倍率が高いことで、「それひとつ見て、どこが不景気なんだと思う」。
しかし、もうけを従業員に配分しないと「必ず左前になって廃業に追い込まれる」と警鐘を鳴らし、「なんとしてでも社員を幸せにするためには、事業を発展させて利益を生んで、できるだけ社員の幸せのために配分する。そういう強い信念がないと」といったマインドを経営者に求めた。
一方で「管理相場の人民元の自由化を安倍首相をはじめ先進七カ国の指導者に一致団結して提案を」と求めた。「ことしは新しい元号が始まり、景気のいい年になるだろうと思っているので、ぜひご列席の皆様のご多幸とご活躍を」と願った。
(佐藤)