2月6日から5月26日まで新潟県見附市学校町2の「みつけ伝承館」で企画展「見附の私塾」が開かれている。見附市今町で日本刀酒造を営んだ清水家から寄贈を受けた私塾「同進館」と「養正館」で使われた1100冊余りの和漢書の内容や幕末明治期に見附で開かれた私塾を紹介している。
見附市今町に明治5年(1872)から125年間、清水家が営む「日本刀酒造株式会社」があり、明治34年(1901)には三条市月岡に酒蔵を建設し、年間約2000石を製造する県内の有数の蔵元になり、その後は年間3800石を製造する県内一、二の蔵元になった。
初代清水治吉は今の燕市吉田地区、旧粟生津村に鈴木文台が開いた私塾「長善館」に学んだ。二代目清水周蔵は漢学者として学問を重んじ、明治14年(1881)ごろに「同進会」と称して夜学会を始め、明治20年(1887)に校舎を新築して私塾「同進館」を開き、その後、それを引き継いで「養正館」を開いた。
その同進館と養正館で使われた清水周蔵文庫の和漢書1160冊を昨年、清水家から見附市に寄贈を受け、その一部を展示している。「三国志」、「朱子語類(しゅしごるい)」、新発田藩の藩校「進学堂」の蔵書印がある「論語或問(ろんごわくもん)」のほか、「米百俵」のエピソードで知られる長岡国漢学校の蔵書印が押された書籍も展示しており、国漢学校の後身の長岡市立阪之上小学校以外では初めての発見という。
見附市内にあったほかの私塾や指導者、長善館を含む県内の私塾などに関するパネル展示も行っている。問い合わせは、みつけ伝承館(電話:0256-63-5557)へ。
(佐藤)
Memo
燕市の長善館史料館に同進館や清水治吉に関する紹介がないならぜひ加えてほしい。そういえばしばらく長善館史料館に行ってない。