全国規模の展覧会などで活躍する新潟県三条市出身の若手芸術家を支援しようと、2014年度にスタートした三条市若手芸術家支援事業の第6弾で取り上げた芸術家は、下田地区に住む洋画家の渡辺志保子さん。3月9日(土)から13日(水)まで三条東公民館で「渡辺美保子展ーひめさゆり・咲くー」が開かれている。
第一会場19点、第二会場26点、正面玄関などに3点の合わせて48点を展示する。多くが2010年代の制作で、メーンの第一会場に展示した作品のほとんどは、04年から描き続けているヒメサユリがモチーフだ。ヒメサユリは高城城址の群生地をはじめ下田地区に多く自生し、三条市の花にもなっている。
下田地区に自生する三条市の花ヒメサユリを描く
渡辺さんにとってはヒメサユリは身近な存在で、「たくさんの人が花を見に来てくれ、香りもすてきで、はかなく、大好きな花」と言う。「花が濁らないよう、ぽてっとしないように」心がけて表現しているが、「花びらが難しくて最後の締め切りの日まで立ち尽くしています」と笑う。
季節の草花のなかにすっくと立つ、かれんなヒメサユリの透き通ったような薄いピンク色の花を細い筆で細密に描写する。一見すると日本画と見間違うようなマットな質感が柔らかさや空気感を演出している。
渡辺さんは1965に当時の下田村に生まれた。89年から三条市嵐南公民館主催油絵教室を受講した。服飾デザイナーを目指したが挫折。「絵なら自分が表現できる」と思い立ち、「自分が死んだあとも絵は残る」、「自分の存在を絵の分身に変えて見てもらおうと思った」がモチベーションになった。
存在意義を失いかけた自分を取り戻すプロセスだったのかもしれない。後戻りはできない。「やるからには趣味で終わらせたくなかった」。強い決意で絵筆をとった。ちなみに三条市若手芸術家支援事業で取り上げた6人のなかで三条市の教室からスタートしたのは渡辺さんが初めてだ。
三条市若手芸術家支援事業で三条市の教室からのスタートは初めて
油絵教室の講師は、三条市・県立三条東高校美術教諭を長く務めたこともある、日展会員で中央の美術団体「光風会」常務理事の池山阿有さん=見附市=。それからずっと池山さんに師事し、池山さんを指導者とする三条市の洋画団体「火曜会」にも所属する。
94年に県展に初出品で初入選し、2006年に三条市展で最高賞の市展賞を受賞、07年に光風会展で初入選し、光風会新潟同人に。11年の芸展で新潟日報美術振興賞受賞、12年に三条市展特別出品となり、13年は日展に新入選し、県展奨励賞も受賞。16年にも改組日展で入選し、県展奨励賞に輝いた。17年に三条市・下田の森の美術館で初個展を開き、18年には光風会会友に推挙されている。新潟県美術家連盟会員、三条市展運営委員に就く。
個展はこれが2回目。「夢だったんです。このホールを全部、自分の絵で飾るのが」と声をうわずらせて喜びを素直に表す。実際に会場を眺めて「最初、へったくそだった思いました。自分の力のなさに打ちひしがれています」と笑うが、「すべては先生とヒメサユリのおかげです。いい人とのつながりもあり、これだけの副産物があって苦労が報われました」と感謝しかない。
亡き父に日展初入選を見せたかった
「父が日展初入選の前の年に亡くなったのが残念」と言う。父は渡辺さんの創作に関心がないようにしていたが、葬儀場に飾られた写真の中に展覧会会場で渡辺さんの作品を見学している父の姿が写っていた。その日まで渡辺さんは父が作品を見学に足を運んでいたことを知らなかった。
今も介護職で働きながらの創作活動で、「両立が難しい」。創作に集中できないのが悩みのたねだ。「ヒメサユリを描いて15年たち、まだどう描いていいかわからないし、まだ完成形ではない。絵は心がでますよね」。ほかのモチーフも考えるし、日本画にも興味があるが、時間を考えるとあまり新しいことには手が出せないと言い、しばらくは今のスタイルをさらに極めていく。
会場には渡辺さんの作品の技術的な肝とも言える細い筆と、ヒメサユリを描くようになってから使って捨てずにとっておいた絵筆も創作のあかしとして展示している。午前10時から午後6時まで開場、入場無料。
(佐藤)