新1万円札の渋沢栄一は109年前に三条、衆楽館へ (2019.4.9)

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4月9日、2024年度に紙幣のデザインが一新されることが発表された。新しい肖像は、1万円札が渋沢栄一、5千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎。1万円札の渋沢栄一は1910年(明治43)に三条市(旧三条町)を訪れている。

明治43年8月10日に渋沢栄一が三条の小学校での講演のために休憩、昼食を食べた衆楽館
明治43年8月10日に渋沢栄一が三条の小学校での講演のために休憩、昼食を食べた衆楽館

全68巻に及ぶ渋沢栄一伝記資料の第44巻、渋沢の日記に記録されている。1910年8月4日から16日まで女子教育の必要を説き、日本女子大学校(今の日本女子大学)への寄付金を募るために信越地方を旅行したことが書いてある。

このなかで三条市についての記述があるのが8月10日で、「雨冷」とある。この日、新潟市から三条へ入ったようで、早朝に宿を出て鉄路で三条で下車。大勢の歓迎があり、老舗の料亭「衆楽館」で休憩。依頼を受けて揮毫(きごう)し、9時から小学校で女子教育に関する講演行った。衆楽館で昼食後、歓迎会に出席して謝辞を述べ、午後1時過ぎに発車して新津へ向かったと書いてある。

左から渋沢栄一(出典:近世名士写真 其2 日付:1931年より前)、津田梅子(出典:ウィキメディア・コモンズ 日付:2007年11月22日}、北里柴三郎(出典:http://www.adthree.com/exanim/50nen/fac/kitazato.htm 日付:不明)

今も続く衆楽館はもちろん当時とは違う建物になっており、渋沢栄一が訪れた記憶も記録も残っていないと言う。講演した小学校は衆楽館から目と鼻の先にあった旧三条小学校の可能性が高そうだ。

また、日記には揮毫したとあるので、当時の渋沢の書が今も三条に残っているかもしれない。8月10日の日記の内容は次の通り。

(佐藤)


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