木下ほうかさんを迎えての「骨髄バンク命のアサガオにいがた」10周年記念事業に300人近く (2019.5.28)

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新潟県加茂市に事務局を置き県内で骨髄バンクのドナー登録の支援、普及啓発、患者家族の支援に取り組む「NPO法人骨髄バンク命のアサガオにいがた」(丹後まみこ会長)の設立10周年記念事業「あなたの勇気を待っている人がいる」の講演とシンポジウムが5月26日、加茂市・加茂文化会館で行われた。ドナーとなった俳優の木下ほうかさんをパネリストに迎え、関係者を含めて300人近くが参加して骨髄移植の医学的な話や骨髄移植経験者の思いなどを聞いた。

「NP「NPO法人骨髄バンク命のアサガオにいがた」設立10周年記念事業「あなたの勇気を待っている人がいる」
「NP「NPO法人骨髄バンク命のアサガオにいがた」設立10周年記念事業「あなたの勇気を待っている人がいる」

乳がんを患った経験のあるフリーアナウンサーの伊勢みずほさんを総合司会に、第1部は新潟県立がんセンター新潟病院の石黒卓朗内科部長が「一人の白血病患者さんの闘病から学ぶいのちの大切さ」のテーマで講演した。

第2部はシンポジウムで、コーディネーターを慢性骨髄性白血病から骨髄移植を受け、東海骨髄バンクを設立し、全国骨髄バンク推進連絡協議会発の生みの親でも大谷貴子さんが務めた。

木下ほうかさん
木下ほうかさん

パネリストは、木下ほうかさん、骨髄移植を受けた須藤賢一さん、石黒医師。木下さんは昨年秋に燕市で大規模ロケが行われたTBS日曜劇場「下町ロケット」にも出演した人気バイプレーヤーで、骨髄バンクにドナー登録して5年後の2009年に骨髄提供した。須藤さんは骨髄移植を受け、つらい治療を乗り越えて双子の子どもをもつことができた。また、白血病で骨髄移植を受けて復帰したアルビレックス新潟サッカー選手、早川史哉さんのビデオレターの紹介も行った。

骨髄バンク命のアサガオにいがたの働きかけで、加茂市は2011年に全国で初めて骨髄移植ドナーに休業補償の助成を始めた。それが今では全国471自治体に広がった。丹後会長は開会あいさつで、それでもまだ実際に骨髄移植を受けられる人は希望する患者の6割にとどまっており、「ひとつでも何かを感じて次の行動へ移していただけたら」と、10周年記念事業の成果に期待した。

「NP「NPO法人骨髄バンク命のアサガオにいがた」の丹後会長(左)と藤田加茂市長
「NP「NPO法人骨髄バンク命のアサガオにいがた」の丹後会長(左)と藤田加茂市長

来賓の藤田明美加茂市長は、骨髄ドナー助成が加茂市から始まったことに「皆さんの気持ちが全国に広がったことを誇らしく思う」とし、「自治体ができるのは、広く知ってもらい、後押しできるようにすること」と述べた。

講演で石黒医師は体の中で血液ができる仕組みから血液がんの治療方法のひとつが骨髄移植であり、移植の方法、移植による合併症、6種類ある遺伝子の組み合わせで移植の適合者が限られることなどをわかりやすく話した。そして石黒医師が診療した加茂市の青年が骨髄移植を受けながら18歳で亡くなった事例を話した。

新潟県立がんセンター新潟病院の石黒卓朗内科部長
新潟県立がんセンター新潟病院の石黒卓朗内科部長

その青年は、自殺のニュースを見て「先生、その命、おれが拾いに行ってやりたい」とつぶやいたエピソードを紹介。「小さいうちから命の大切さの目が曇らないように、教育のなかで根付かせていってほしい。小学校、中学校、高校で命の大切さを生徒に考えてもらう時間をつくっていただけたら。藤田市長、加茂市からいかがですか」と求めると満場の拍手でわいた。

木下ほうかさんは、ドナーに選ばれた通知を受け取ったときは、「うれしいわけないじゃないですか。5年前と5年たったときと気分が違う。もしかしたら顔色が変わったかもしれない」と当時の動揺を正直に打ち明けた。

全国骨髄バンク推進連絡協議会発の生みの親でも大谷貴子さん
全国骨髄バンク推進連絡協議会発の生みの親でも大谷貴子さん

骨髄移植を受けた人は「ぼくらが提供したプロセスとは比べものにならない」、「よくそんなん耐えられたなと思う。ぼくやったら多分、逃げ出している」とも。

骨髄移植を受けて1年以内ならドナーに手紙を出すことができる。木下さんは「何よりうれしかったのは手紙が届いたこと。ひとまずそこまでうまくいったという事実が知れたこと。それだけで十分」と話した。

骨髄移植を受けた須藤さん
骨髄移植を受けた須藤さん

須藤さんは発症しても「あんまり細かいことは自分で考えてもしようがないなと思った。先生に任せようと。今まで自分の型とかもよくわかっていない」と言い、こちらも、「ドナーさんが無事にその日まで元気でいてくれればいいなと、すごい自分のことしか考えてなかった」と正直に明かした。移植後は話すこともできず筆談するほどひどい口内炎になった。移植後、感謝の気持ちを込めてドナーに送った手紙も紹介した。

大谷さんは「健康な方が、逆に見ず知らずのわたしたちのためにそこまでやっていただけるのがすごい。どうやって乗り越えていただけたのかと思う」とドナーに感謝した。命をつなぐために移植前の精子や卵子の保存に対する支援も呼びかけた。

関係者を含め300人近くが参加した
関係者を含め300人近くが参加した

5月1日付で新潟県三条市の地域おこし協力隊に着任したは茨城県牛久市出身の松岡一成さん(29)も参加した。4月に発足した三条市を拠点とする3人制バスケットボールのプロチームに所属するが、2015年5月に急性骨髄性白血病を発症した。

5カ月、抗がん剤治療を受け、16年4月に社会復帰。16年暮れに再発し、17年4月に骨髄移植を受け、6月に退院したが、ドナーに手紙を送るタイミングを逸し、すでに移植から2年以上たつ。

会場から質問した三条市の地域おこし協力隊で3人制バスケのプロチームに所属する松岡さん
会場から質問した三条市の地域おこし協力隊で3人制バスケのプロチームに所属する松岡さん

シンポジウムの最後で会場からの質問を受け付けると、松岡さんも発言した。「(木下さんから)患者さんが無事かどうか、悪い方に心配してしまうっていう話を聞いて感謝する立場なのに申し訳なかったという気持ちがこみ上げてきた」と話した。

シンポジウム後、松岡さんは「再発の不安があったので。ぼくのなかでは終わってない。社会復帰できたらと思っていた」、「悪い方に考えちゃうというのは、まったくぼくの考えにはなかった。そこは面食らったというか。すごい後悔した」と言い、「それぞれの立場から意見を聞けて良かった」と、関係者に活動に対する協力も申し出ていた。また、兄が命を助けてもらったからと、妹も骨髄ドナーになったと言う。

(佐藤)

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