墨彩家を描く藤井克之さん(64)=新潟県新潟市西蒲区=の長女、小百合さんは乳がんのため2016年に32歳で他界した。台湾で日本語を教え、日本と台湾をつなぐ懸け橋となった小百合さんの物語の映画化が決まった。日台合作で2021年春に公開予定だ。
小百合さんは15歳からうつ病に苦しんだ。病院に通い、不登校になることもあった。友だちが台湾で日本人学校の教師になった。しばらくして友だちが日本に戻るという連絡があり、母の久美子さん(63)が友だちが帰国する前に台湾へ行ってみてはと勧め、小百合さんは台湾を旅行した。
その旅行で「台湾に一発ではまり、どうしても台湾に住みたいとなった」(克之さん)。2012年春から台北市の語学学校で日本語教師に就いてかというもの、うつ病の症状はぴたりと収まった。
「彼女もやっと人生をスタートできる、生まれ変わってやれると喜んでいた矢先に乳がんが見つかった」(同)。勤めて1年半のことだった。がんになって恐怖よりもう台湾で暮らせなくなることの方がつらいと克之さんに話したと言う。帰国して病院で2年半のつらい闘病生活を送ったが、2016年2月に亡くなった。
治療で帰国すると、台湾から学校の教え子や知り合いが大勢、見舞いに訪れ、亡くなってからも大勢がお参りに来てくれた。台湾には小百合さんが世話になった人がたくさんいるからと、その年の5月、克之さん夫婦は台湾へ行って小百合さんが世話になった人たちに礼をして回った。
あまりにも元気のない克之さん夫婦を励まそうというのか、台湾の人たちから小百合さんが好きだった台湾の絵を描いて台北で展覧会を開いてはと勧められた。
「どうして台湾が良かったのか俺もわからないから、絵を描いて知りたいと思った」、「娘が行ったところ、見た風景を俺も見て、娘が食べたのと同じものを食べて、同じ経験をすれば追体験というか、台湾に夢中になった娘の気持ちがわかるのかなと思って」。
幸い小百合さんはメモ魔だった。「行った所とか、食べた店とかいろいろメモがあるので、そのメモを持って台湾中を描いて回った」。
2018年7月から台北市のギャラリーで展覧会「藤井小百合紀念畫展」が開かれた。台湾の風景とふるさとの旧巻町をはじめ日本の風景に取材した作品を展示した。展覧会が台湾の四大紙のひとつ「中国時報」に取り上げられると、とくにネットニュースで広がり、展覧会場に入りきれないほど大勢の人が押しかけた。結局、四大紙のうち3紙で取り上げられ、出版社から画集をつくりたい、小説にしたいという依頼があった。
テレビ曲からドキュメンタリー番組を作りたいというオファーもあり、ことし3月30日に放送された。台湾のまちを歩けば「本物の藤井さんか?」と見知らぬ人に声をかけられ、社会現象と言えるほどの注目を集めた。
そして昨年11月、映画化の話が届いた。当初、久美子さんは小百合さんがさらし者になるようだと反対していたが、克之さんは日台友好になり、がんを早期発見するためのがん検診の啓蒙になるからと説き伏せ、承諾した。
小百合さんの台湾での生活は「ものすごい密度の濃い1年半だったと思う」と克之さん。「台湾でいろんな行きたい所に行って、おれに写真見せて、ここの絵を描いて台湾で展覧会やってと、娘はいつもおれに言ってた。おれはそのときはあまり興味がなかった。今は多分、娘以上に俺の方が台湾に舞い上がってると思う」と思うと笑う。
小百合さんが亡くなって自暴自棄のようになっていた。「人生どうでもいいやという感じになったんだけども、今はその映画が楽しみで生きる望み、目標ができた。娘の代わりを生きようと思っている」と
久美子さんは「亡くなってからの娘の友だちとわたしが親しくなって、返って今のほうが娘が近くにいるような気がする」、「こんなことがね。まさか娘がこんなことを残してくれるなんて」と目を潤ませた。
5月31日から6月2日までの3日間、三条市の三条東公民館で第9回藤井克之墨彩画教室展が開かれている。克之さんが講師を務める三条教室、加茂教室、燕教室の3教室の生徒のうち20人が制作した63点を展示し、克之さんの作品も22点展示し、うちベージュ色のマットの5点は台湾の展覧会に展示した作品だ。
台湾の展覧会のときの画集「日本與台湾灣的風景畫」(2,500円)やポストカードも販売している。毎日午後2時から3時まで藤井さんによる制作実演と体験教室を行っている。開場は6月1日は午前10時から午後6時まで、2日は午前10時から午後4時まで。
(佐藤)