2004年の7.13水害からちょうど15年の13日、9人の尊い命が失われた三条市では、五十嵐川の堤防が決壊した場所に造られた五十嵐川水害復興記念公園で水害で犠牲になった人たちに黙とうをささげた。
昨年までと同じく、公園内に設置した慰霊碑の前に献花台を設置。国定勇人市長、河原井拓也県議、杉井旬県議、阿部銀次郎市議会議長、山田富美子新潟県三条地域振興局長はじめ、市、市議会、県関係者、市民など25人ほどが参列した。
午後1時の気温は25.4度で、曇りがちだが青空も顔を出して蒸し暑さも増すなか、堤防が決壊した時刻午後1時15分に、1分間の黙とうをささげた。
続けて、1人ずつ白いキクの花を献花台にたむけ、崩壊した堤防をさらにくずしながら濁流が流れ込んでいった嵐南方面に建つ慰霊碑に向かい手を合わせた。
献花のあと、国定市長が報道機関の質問に答えた。自助、共助、公助の考え方について、「共助、公助それぞれの世界で最大限できることはするが、それをも超える事態が生ずることが災害なんだということを市民に知ってもらいたい。情報が届かなかったからと、自分の行動ができなかった原因を他者に追い求めては自分の命を危なくすることにつながっていく」。
「まずはお一人おひとりのなかで、自分の命を守るためには最大限、何ができるのかということを、7.13水害という特別な日を機に考え直していただきたい。そして一生懸命、考え抜いて、自分の命を守り切ろうと思う市民の皆さま方を、ぼくたちは全力を挙げて支えていかなければいけないと思っています」と話した。
また、情報政策課長だった水害当時のことについて、「今でも本当によく思い出す」と、災害対策本部で、避難者リストを統合する仕事をしていたときのことを話した。泥だらけになった男の子が両親が見つからないと訪れ、「見つかるから大丈夫」と言ったが探す手だてがなかった。あとで無事とわかったが、「あの時に行政の限界というか、目の前のひとりの男の子に応えることができない力の限界、もっと日ごろから備えておかなければいけなかったんだろうなと、今でもよく思い出します」と自戒を込めて話した。