ゴルフクラブヘッドの製造などで知られる株式会社遠藤製作所(渡部大史代表取締役社長・新潟県燕市東太田)の創業者で名誉会長の遠藤栄松さんが11月14日、肺炎で死去した。89歳だった。燕市の産業界の重鎮であるとともに、2005年に開校した新潟県立燕中等教育学校の設立の立役者でもあった。
10月14日に呼吸が苦しくなり、持病の心疾患でかかりつけだった長岡市・立川綜合病院を受診した。数年前に脳梗塞を患ったこともあり、そのまま検査入院した。熱があって少し息苦しさを感じるていどで、入院から2週間ほどの間は元気だった。最初から抗生剤の効きが悪く、しだいに少しずつ病状が悪化した。11月に入るころからかなり苦むようになってあまり会話もできなくなった。
長男のえんどう整形外科クリニック院長、遠藤栄之助さん(50)は「本人は死ぬ気は、さらさらなかったと思う。病院から会社の人に仕事を指示していた」と言う。家族も戻ってくれると思っていたが、かなわなかった。
1930年(昭和5)2月2日、農家の長男に生まれ、17歳で早くもミシン組立用ドライバーの製造で起業した。キッチン用品の製造技術を応用したゴルフクラブの製造で躍進し、2003年には株式を店頭公開。日本金属ハウスウェア協同組合の理事長を3期6年、務めた。
一方で、地元の燕工業高校が三条工業高校と統合されて新潟県央工業となり、残る燕市内の高校の燕高校も統廃合の動きが進むなか、県が設置を計画する中高一貫高校を燕市に設置してほしいと「燕高校の発展を願う市民の会」を立ち上げた。強力なリーダーシップでオール燕体制をまとめあげ、燕中等教育学校設立を実現した。遠藤栄松さんなくして今の燕中等教育学校の存在はなかったと言って過言ではない。燕市を代表する財界の篤志家だった。
「若いころは夜はあまり家にいない人だった」と遠藤栄之助さん。「夜、家に帰ると2階で本を読んだりしている私を、おーい、おーいと呼んでその日の出来事の話を聞かせてくれることもあった」と思い出を語り、「何事にも一生懸命な人だった」と振り返る。
葬儀は近親者でと計画したが、18日の通夜には約500人が出席した。鈴木力燕市長は弔辞で遠藤栄松さんから市長選出馬を打診されたエピソードにふれた。卒寿の90歳を迎えるはずだった来年の誕生日のころに会社の主催でお別れの会が計画されている。
また、2003年に『挑戦 果てしなく』(新潟日報事業社)、2014年に『燕よ、再び大きく羽ばたいてくれ』(同)の2冊の著書を出版している。自身3冊目となる『栄遠〜卒寿を超えて〜』の執筆をすでに終えており、予定通り年末か来年初めに出版する。
タイトル通りに卒寿を超えることはできなかったが、「はじめに」でこう書いている。「遠藤製作所は未来に続く。人の命は限られているが、企業には未来があり、可能性も無限だ。我が人生を振り返るとともに、果てしない未来をお約束したい。」。