小橋健太、馳浩、和田京平の3氏がリングをステージに変えてジャイアント馬場を語る (2019.12.16)

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新潟県三条市出身で三条市名誉市民のプロレスラー、ジャイアント馬場(本名:馬場正平、1938-99)さんの没後20年記念展が12月13日から15日までの3日間、ふるさとの三条市体育文化会館で開かれた。14日は馬場さんに薫陶を受けた元プロレスラーとレフェリーによるトークショーが行われ、会場の500席はほぼ満席となりプロレスファンの熱気であふれた。

左から小橋健太さん、馳浩さん、和田京平さん
左から小橋健太さん、馳浩さん、和田京平さん

昭和のプロレスファンが胸躍らせた『王者の魂』が流れるなか、MCのプロレスライター小佐野景浩さんが登場して馬場さんが立ち上げた全日本プロレスの名誉レフェリーの和田京平さんを「レフェリー、和田京平!」のアナウンスでステージへ呼び込み、一気にプロレス会場のようにボルテージが上がった。

さらに現役の入場曲『GRAND SWORD』にのって元プロレスラー小橋建太さん、『TWO HEART』にのって衆院議員で元プロレスラーの馳浩さんの登壇に会場は名前のコールも起こり、ステージがリングのようだった。

全日本が旗揚げして2シーズン目からレフェリーを務めた和田さんはとくにプロレスが好きだったわけではないが、たまたま声をかけられてレフェリーに。最初はまともに見ることもできなかった馬場さんやアブドラ・ザ・ブッチャーさんの顔を毎日、見ることができ、「こんな楽しい仕事はないと思った」。

小橋さんは、岐阜県で馬場さんの面接を受けたがその後、連絡がなく、しびれを切らして自分から事務所に連絡すると「じゃあ、来れば」と言われた。取材で事務所にいた小佐野さんは、上京してきた小橋さんをその2カ月に相撲界から入門することになっていた元プロレスラーの田上明さんと勘違いし、小橋さんは大勢のマスコミに自分のために集まったと驚いたエピソードを話した。

ジャイアント馬場没後20年記念展トークショー

馳さんは長州力にあこがれて専修大学レスリング部に入り、長州力さんが立ち上げたジャパンプロレスに入団後、全日本プロレスに長州さんらとともに参戦。1985年8月21日、後楽園ホールで全日本の興行でリング上からあいさつしたときに、控え室で馬場さんにあいさつした。先輩が怖かったのを覚えていて、馬場さんから低い声で「おー、頑張れよー」と声をかけてもらった。

ジャンボ鶴田さんやにも天竜さんにもあいさつし、同期に小川良成さんや佐々木健介さんがいて、よく受け身の練習をさせもらった思い出を話した。当時の興行は全日とジャパンのどっちが先に練習するかから対抗戦で、和田さんは「馬場さんはそれをずーっと見て、おい、馳、来いって言って。それはすごかった。全日本プロレスなんかいっさい馬場さんは教えない」と当時の試合前のようすを語った。

さらに「なんでジャパンの連中ばっかりかわいがって練習、教えてんのかな」と首をかしげると馳さんは「でもね、あんまり健介のことはかわいがってなかった」と突っ込むに会場は爆笑。和田さんの「それを言っちゃうとまずいから」と同調し、脱線して佐々木さんディスでもひとしきり盛り上がり、今だから話せるエピソードや裏話で会場をわかせていた。


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