東日本大震災発生から9年になった3月11日、地震が起きた午後2時46分から黙とうが行われ、犠牲になった人たちの祈りをささげ、今も復興のなかにある人たちに思いをはせた。
新潟県内でもいち早く3月16日に福島県南相馬市からの避難者を受け入れた三条市は毎年、追悼式典を行ってきたが、新型コロナウイルス感染症のため、ことしは初めて中止。市役所では庁内を放送を行ってから1分間の黙とうを行い、居合わせた市民も一緒に祈った。
福祉課の窓口には、今も東日本大震災災害義援金募金箱が設置されている。黙とうの時刻にあわせるように三条市民と思われる男性が訪れ、5万円を寄付した。
毎年3月に東日本大震災への義援金の寄付を続けている。きょうは地震が発生した日だと意識せずに窓口を訪れたらしい。
メモ
東日本大震災については、脳裏に焼き付いた記憶が数多くある。南相馬市からバスに乗った市民が次々と三条市総合福祉センターに到着した夜。午前0時の気温は−0.5度。吹雪のような荒天のなか、国定市長はスーツのまま防寒着を着ず、手袋をもつけずに外へ出て全員が降車するまでバスの前で避難者を迎えた。
バスに添乗してきた南相馬市職員は、到着するやいなや、再び市民を迎えにいかなければと、真っ青な顔をしてうつろな目でバスに戻った。
初めて避難者の元を訪れた桜井元市長に、避難者はやり場のない怒りや悲しさから、容赦のない怒号や罵声を浴びせた。
避難所を訪れた市会議員は、おとながこんなに泣けるのかと思うほど、ぼろぼろと大粒の涙を流して避難者を見舞った。そんなことを毎年、思い出させる3月11日だ。