5月16日を宵宮、17日を本祭に新潟県燕市宮町の「戸隠神社」(星野和彦宮司)で春季例大祭が行われた。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため万灯や神輿(みこし)行列、獅子神楽といった関連行事がすべて中止。寂しい春祭りとなったが、17日の例大祭の神事のあとは燕市灰方の真言宗豊山派「万福寺」(田辺良文住職)とともに、神仏一体となって氏子町内3カ所の砂盛で全身全霊を込めて新型コロナウイルスの早期終息を祈った。
17日午後1時半から拝殿で春季例大祭の神事を行い、氏子総代ら数人と万福寺の田辺住職と田辺良元副住職も参拝したあと、氏子町内の結界の御旅所(おたびしょ)に設置した砂盛を秋葉町1、新町、中央通3の順に回って祈とうした。
それぞれの砂盛で戸隠神社の渡辺大蔵禰宜(ねぎ)が氏子町内の平穏を祈る例大祭の祝詞(のりと)のあと、星野宮司が新型コロナウイルス感染症の終息、疫病退散を祈る祝詞をあげた。さらに田辺住職と田辺副住職が般若心経(はんにゃしんぎょう)と錫杖経(しゃくじょうきょう)をあげたあと、田辺副住職が所願成就祈願文を読み上げた。
砂盛に向かって神官と僧りょが連なって歩く姿に、何ごとかと見入るドライバーが多かった。砂盛では万福寺が錫杖を鳴らしたあと、神式で柏手(かしわで)を打った。砂盛を回ったあと、戸隠神社の始まりにゆかりの岡部貞一さん(61)の家に立ち寄った。岡部さんにとっても戸隠神社と万福寺が同時に家に居合わせるのは初めてのことで、家の神棚に向かって柏手を打ち、仏壇に向かって万福寺が読経した。
田辺住職は「まさかこういう形でご一緒させていただけると思わなかった。得難い経験だった。岡部家あってこそのご縁」と話していた。
戸隠神社は約450年前に中ノ口川をに流れ着いた祠(ほこら)をまつったのが起源と伝わる。最初の150年間は岡部家が祠を守り、続く150年間は万福寺が守った。明治以降の150年は戸隠神社が守ってきた。そもそも神仏判然令が出される1868年(明治1)以前は神仏が融合して信仰されていた。2018年、戸隠神社の社殿再建百年記念大祭は、万福寺が戸隠神社の拝殿で読経を行う全国的にも珍しい神仏習合の形式で行われた。
伊勢神宮と奈良の大仏の創建も、京都の祇園祭の始まりも、疫病の流行がきっかけだった。国難ともいえるコロナ禍に見舞われている今こそ神仏一体となって疫病退散をと、春季例大祭に万福寺の力を借りた。
例大祭の神事のあと星野宮司は「過去にはあったが、疫病の恐怖にさらされるのは今に生きるわたしたちにとっては初めての経験」とし、砂盛では「氏子の平穏、産業の振興と重ねて疫病の退散、終息の祈願を執行する。われわれのこの思い、願い、祈りが間違いなく天に通じ、疫病の1日も早い終息をともに念じたい」と話した。