新潟県燕市でスポーツの普及、振興に尽力した柴山義栄さんが6月10日、入院先の燕労災病院で死去した。76歳だった。
柴山さんは昨年3月末で一般財団法人燕市スポーツ協会を退任し、夏には株式会社柴山機械(燕市長渡)を専務で退職した。
2017年ごろから心臓の不整脈や心筋梗塞(こうそく)などで入退院を繰り返すようになり、冠動脈バイパス手術を受けたり、ペースメーカーを入れたりしていた。
ことし5月、久しぶりのレントゲン撮影で心臓にかげが見え、同時に小細胞がんが見つかった。進行が早いがんのため抗がん剤治療を受けようと5月26日に入院した。
2日目に抗がん剤の投与を始め、3日目の夜から苦しみ、意識がなくなることもあった。6月8日に再び意識がなくなり、10日朝になって急変し、人工呼吸器を装着。透析の実施を決断した矢先に息を引き取った。
柴山さんは燕市スポーツ協会会長を前身から含めて15年間、務めた。旧燕市、旧吉田町、旧分水町の3市町で合併して新燕市が誕生したのに伴って2005年に3市町の体育協会も合併し、燕市体育協会が誕生し、10年に一般財団法人燕市体育協会に移行。14年に吉田スポーツ振興事業団、クラブスポーツバイキングぶんすいとともに新生一般財団法人燕市体育協会としてスタートし、18年に一般財団法人燕市スポーツ協会に名称変更するといった枠組みの変更にも力を尽くしてきた。
ことし2月1日行われた燕市表彰で、スポーツ協会会長としてスポーツの振興に貢献したとして功労者表彰を受けている。
テンガロンハットと豊かなひげがトレードマークだった。若いころは剣道をたしなみに、車やアマチュア無線など多趣味だった。ことし3月には次男の孫の生後100日の祝いで元気な姿で記念写真に収まっている。体調の悪い状態が続いていたが、今回の入院も退院後に何をしようかと考えていたと言う。
14日(日)午後6時から通夜、15日(月)午前9時50分から葬儀、11時出棺。会場は燕市・VIPシティホール燕。喪主は長男の誠さん。