平成16年7月新潟・福島豪雨による7・13水害で9人が犠牲になった新潟県三条市で中心的な被災地に位置する三条市立嵐南小学校(阿部桂介校長・児童850人)は、それからちょうど16年になった7月13日と翌14日の2日間、4年生145人を対象に7.13水害について学ぶ特別授業を行った。
4年生は毎年、川の環境や防災について学ぶ授業を行っている。ことしは災害の備えや地域のつながりの大切さを学ぼうと特別授業を企画。13日は7.13水害の当時、南四日町一丁目自治会副会長だった上石貞夫さん(87)を講師に水害の体験談やその経験を地域のつながりに生かした話を聞き、14日は三条市の内藤雅孝防災気象アドバイザーを講師に水害のようすや防災、天気について話を聞く。
13日の特別授業は、ちょうど16年前に犠牲になった9人に黙とうをささげてから行った。上石さんは、7.13水害で五十嵐川の破堤に伴い高さ1.4メートルの水で家が床上浸水し、2昼夜を夫婦2人で2階で過ごした。
破堤した13日、長岡市に住む孫から五十嵐川があふれそうだという連絡があった。側溝の水がゆらゆらと波打っているのを見て、これは母から水があふれる前兆だと聞いていたことを思い出した。「水だ!水があふれるぞ!」と大声で地域の人にふれて回った。
孫から今度は堤防が切れたと連絡があったが、水がきて電話が不通になった。家の前は川のようになり、木材やドラム缶、タイヤなどが流れてきて、1階の家財道具がすべて水につかった。
しばらく水の中にいたが、仏さまを持って2階に上がり、「おーい!」と大声で叫んでも何も返事がなかった。電気もガスも水道も、トイレさえもなく「それは原始時代に逆戻り」。食べ物はわずかな菓子だけで夜はろうそくで過ごした。一日中、ヘリコプターが飛んで逃げ遅れた人をつり上げて救助していたといった当時の生々しい体験を話した。
その後、上石さんは災害には「顔の見える仲のいい関係をつくるのが大切で、老人会が必要だと思った」ことから、翌年、町内の老人会を立ち上げた。4年生は、まちはどのくらいで元に戻ったのかやボランティアの期間などを上石さんに質問。特別授業を終わって「水害はいつ起きるかわからないので怖いと思った」、「水害の話は詳しくは初めて聞いた。水害が起きないか心配になった」と水害の怖さを実感していた。