日本天文学会は9月7日、第2回日本天文遺産として日本で初めて近代的日食観測が行われたことを記念して新潟県三条市の大崎山にある「明治20年皆既日食観測地および観測日食碑」や奈良県の「キトラ古墳天井壁画」など3件を認定したと発表した。新潟県内での選定は初めて。
明治20年(1887)の8月19日、本州の中央を横断する皆既日食があり、観測地点のひとつが大崎山(正式名称:永明寺山)だった。当日は天気が悪く、皆既中のコロナ写真3枚をはじめ多くの日食の経過写真を撮影できたのは大崎山だけ。写真記録は世界でも唯一で、このとき描かれたスケッチはイギリスの学術誌にも掲載された。
日本で最初の科学的観測の成功を記念して翌明治21年(1889)、観測日食碑が建てられ、この石碑を中心に大崎山の山頂周辺は大崎山公園として整備された。三条市は「観測日食碑」を2005年に市指定史跡としている。今後、オンラインによる認定書などの贈呈式が行われる予定だ。
日本天文遺産は、日本天文学会が天文学や暦学に関する国内の貴重な史跡・建造物、物品、文献を認定する制度。文化的遺産として後世に伝え、活用を促すことを目的に2018 年度に創設され、第1回は歌人・藤原定家の日記「明月記」(京都府京都市)と天文台の遺構「会津日新館天文台跡」の2件が認定されている。
「明治20年皆既日食観測地および観測日食碑」認定理由は次の通り。
認定理由
「明治20年皆既日食観測地及び観測日食碑」は、日本における最初の近代的な皆既日食の観測地及びその観測記念碑である。
1887(明治20)年8月19日の日食は、新潟県から福島県・茨城県にかけて皆既帯が通り、皆既帯の幅は約220km、その中心は新潟県三条市、栃木県那須塩原市、茨城県高萩市を結ぶ線上にあって、専門家だけでなく一般市民の多数が観測に参加した。この皆既日食ではコロナの写真撮影が行われ、外国からも観測隊が来日するなど、日本で最初の近代的な日食観測となった
専門家による観測としては、米国アマースト大学教授のD.P.トッドが福島県白河に、栃木県黒磯付近には帝国大学星学科教授の寺尾寿が、内務省地理局(東京天文台の前身の一つ)は栃木県の宇都宮、千葉県の銚子と、ここ新潟県三条市(当時は大崎村)の3か所に観測隊を展開した。しかし当日の天候は不安定で、実際に日食が観測できたのは銚子と三条市に限られた。特に三条市では望遠鏡によるコロナの写真撮影も成功し(銚子では眼視観測のみ)、国外の文献でも報告されている1)-3)国内の公式報告は4))。
三条市での観測は荒井郁之助(1836-1909、地理局次長、後に初代中央気象台長、日本経緯度原点の経度決定に関する観測も行った人物)らにより、永明寺山頂で行われた。山頂の観測場所には「観測日食碑」があり、今でも観測場所が明瞭である5)。この場所は日本における最初の近代的な皆既日食観測地として記憶されるべきである。
地元住民は日食観測の記念に「観測日食碑」を建立し(建立時期は観測の翌年と言われる)、観測地のシンボルとして永い間その保護に努めてきた。永明寺山頂は三条市により大崎山公園として整備されており(このため地勢の変化はある)、天文遺産としての認定に伴い、この場所が日本における近代的日食観測発祥の地として、より広く知られることが期待される。
以上のことから、明治20年皆既日食観測地及び観測日食碑を2019年度の日本天文造産に認定する。
1) "Notes" , 1888, Nature, 37, 299-301(著者の無い一連の報告記事のうちp.300で報告
されている)
2) "The Total Solar Eelipse of August 19,1887", 1888, MNRAS, 48, 202(著書の無い報告記事)
3) Arai, J. , 1888, "The Total Eclipse of the Sun. 1887 Aug 19" , Memoirs of the Royal Astronomical Society, 49, 271
4) 内務省地理局観測課, 1888,『明治二十年八月十九日皆既日食報告』(斉藤国治・沢志津代, 1971, 「明治20年(1887)8月19日の皆既日食観測についての調査一第2報」, 東京天文台報, 15, 617に転載)
5) 神田茂, 1936, 「明治二十年八月十九日の皆既日食」, 天文月報, 29, 120