JICA(国際協力事業団)ボランティアの青年海外協力隊として2018年7月からことし3月まで中央アジアのウズベキスタンで英語教師として活動した新潟県燕市に住む燕市立分水中学校の英語教諭、田中美樹さん(34)が9月14日、鈴木力燕市長を訪問して活動を報告した。
田中さんはノートパソコンを広げて画像を見せながら話し、活動報告書も渡した。ウズベキスタンの首都、タシケントにある千人規模の小中高一貫「タシケント173番学校」で、児童生徒の国際的視野を広げ、将来の進路選択の可能性を広げるため、とくに英語教育分野の支援を行った。
英語教員へのセミナー、授業でカバーできない会話や実用英語の指導を中心に活動し、日本語や日本文化の指導を通して平和教育やいろんな国を知ることの楽しさを体感できる場を設けた。
燕市のご当地かるた「つばめっ子かるた」を絵から日本文化を学ぶことやひらがなの指導に有効に活用した。燕市燕地区の夏まつり「飛燕まつり」で踊られる「燕ばやし」をいろんな場で児童生徒一緒に踊って燕市の文化も紹介した。
学校では教室の確保に苦労し、黒板はガラスに書いているようで全然、書けなかった。1個のいすに3人くらい座るような厳しい環境だった。
それでも「本当の豊かさを考えた2年間」で、「収入も日本の10分の1にも満たないが、みんなが幸せそうに暮らす人生の在り方を見て、本当の幸せは何かと考えさせられた」と田中さん。
「ふつうはこうだというものがことごとく覆させられ、自分のなかだけのふつうだったことに気付かされた」、「外国人の立場になって相手の気持ちに立つことの難しさを感じた」と振り返った。鈴木市長は「せっかくなので、なんらかの形でこの経験を話をしてもらう機会をつくりたい」と期待した。
田中さんは青年海外協力隊に派遣される以前も分水中に勤務。ことし3月に帰国予定だったが、ウズベキスタンで新型コロナウイルスの感染が拡大して国境封鎖になり、2週間遅れでチャーター便で帰国し、4月末に分水中に復帰した。
高校生のとき、JICAからネパールに派遣され世界最高地の稲作に成功した加茂市の近藤亨さん(1921-2016)の講演を聴いて「何か自分のできる分野で国際協力できないか」という思いが芽生えた。
大学生のときにも青年海外協力隊の応募を考えたが、海外での活動に自信がもてなかった。社会人として日本で働いてからと、このタイミングで応募し、約15年越しで念願を果たした。
ウズベキスタンの英語教育は制度が変わり、「英語教育は良くなっていると実感した。その足りない部分を活動した」。日本語の指導や異文化を学んでもらうことで「現地の国際理解教育に貢献できたと思う」と言い、現地の人から英語で「グッドモーニング」、日本語で「おはよう」とあいさつされ、「その変化がうれしかった」と手応えを感じる。
「やりたいことをきりがなかった。正直まだやりたかったことはたくさんあるけど、できることはいろいろできたと思う」と充実感を味わっている。