9月25日に辞職を申し出た新潟県三条市の国定勇人市長は、10月15日午前0時の自動失職となるため事実上の任期最終日となった14日、退任のあいさつや事務引き継ぎなどをこなし、市長になって14年、三条市職員時代から数えて17年になった市役所での職務にピリオドを打った。
午前9時過ぎ、市役所第二庁舎に集まった約120人の職員を前に退任のあいさつを行った。国定市長はまず職員に感謝の言葉を述べた。一方で職務柄とはいえ、総務部参事兼情報政策課長への着任が31歳、市長就任が34歳の「ぺいぺいの若造」(国定市長)が職務柄とはいえ多くが年配の職員に対し、「かなり厳しいことも口調を含めて厳し目なことを言ってきてしまった。一介の人間としては本当に心苦しく思いながら言葉をひねりだしてきたが、そうした心の葛藤は皆さまがたに一切、伝わることもなく随分、不快な思いをさせてしまったのかなと思う。きょう、こうして市長としての立場を離れるが、ひとりの人間として無礼の数々を心からお許しいただきたい。大変、申し訳ございませんでした」と職員に謝罪した。
それでもこの17年間は大切な宝物で、これ以上は出すことができない成果を職員と一緒にあげることができ、本来なら心に心に秘め続けなければいけないが、「確信を持って今、思い返している」。自身の発言だけで物事を実現することはできず、ひとつひとつ何らかの形をつくりあげてくることができたのは、職員一人ひとりが「同じ価値観をもって同じ志で同じゴールを目指してやっていこうというチーム力があったからこそ」。
分解すれば職員一人ひとりに秘められた崇高な志、思いの結晶。職員がいなければ「私自身、何ひとつ成し遂げることができなかったし、困難な局面になればなるほど皆さまがたのお力をいただかなければ乗り越えることができなかった。これは疑いのない事実」であり、職員に感謝の言葉以外にないと振り返った。
若山裕副市長が、人は育てるものじゃない、人は自分で育っていくものと絶えず言っていることを取りあげ、「ここに至ってはそういうことを感じながらの人生の後半だった」とし、職員に対し、「もう大丈夫ですから。皆さん十二分に能力を発揮して何よりも私利私欲をかなぐり捨てて三条市の未来のため、将来のために身を粉にして働き続けてきたその実績が皆さん自身の人生に着実に積み重ねられている。この14年間のなかだけでも私自身が自信をもって皆さんに断言できる」と保証した。
職員の発言を否定し、指摘をし続けるような関係性だったのも、その前提にあるのは試験で言えば一定以上の合格点が与えられる能力とやる気と情熱があって、そのうえでの会話の数々だったと感じており、「どうか自信をもって自分自身が思い描く三条市の将来に向かって、その能力と熱意とエネルギーを全力で注ぎ続けていく、そんな公務員人生を最後のその日までもち続け、行動し続けていただければ」と期待した。
そうした思いを全部含めて「私は本当に今、晴れ晴れしい気持ちでいっぱい」。「きょうは最後まで涙を見せることなく終わらせようと心に誓って朝、迎えたのは、涙を見せないことが、心の底から職員が立派にしっかりと独り立ちして職務にまっとうできるという強い信頼感をもち、それが晴れ晴れしい気持ちでこの場を去ることができるんだということを示す自分自身にとっての最大の演技だというふうに思っている」。
「これから先、一介の三条市民に戻るが、三条市発展のために情熱を注いでいただけることを三条市民を代表して心からお願い申し上げる」と職員に託した。職員から花束が贈られ、大きな拍手のなかで退場した。国定市長は退任あいさつの冒頭で少し声を震わせて心なしか目が潤んでいるようだったが、その後は持ちこたえ、あふれる笑顔のままあいさつを締めくくった。
このあと退任のあいさつ回りや市長室で三条市長、三条地域水道用水企業団企業長、三条・燕・西蒲・南蒲広域養護老人ホーム施設組合管理者、県央土地開発公社理事長の引き継ぎ書に署名。正午前に正面玄関前に職員が集まり、退庁する国定市長を拍手で見送った。
見送りに訪れた市民もあり、国定市長が車に乗り込んでからも市民がスマートホンのレンズを向けると国定市長は撮り終わるまで待ち、庁舎をあとにした。